喪失を聴く

カウンセリングは時に、喪失を聴くことと紹介されます。

この表現は、カウンセリングの全てを含んでいるとは言わないまでも、かなり納得のいく表現として聞こえてきます。

喪失とは

喪失と言うと、誰かを亡くした後の体験を思い浮かべる方が多いと思います。フロイトも喪の作業(モーニングワーク)という言葉を使っていいたくらいで、カウンセリングと非常に親和性の高い出来事です。

特に、近縁の人の死は、大きな喪失感を伴うものであり、長い人生の中では、多くの方が体験することでもあります。

喪失を聴く

死以外の喪失体験

そして、人の死以外にも、我々の周囲には「喪失」があります。例えば、歳を重ねて行けば、若さを喪失します。病気をすれば、健康を喪失し、試験に失敗すれば、合格達成を一時的にでも喪失します。

これらは、過ぎてしまったことであり、その部分についてはどうにもならないことです。そこに喪失体験が生まれて行きます。ある人は、試験に落ちたことを悔やみ、他の人に後れを取ってしまったと嘆くかもしれません。

聴くこととは

カウンセリングで、喪失されたことが元に戻るものではありません。カウンセラーはそこで体験される、怒りや悲哀、苦悩に添うことくらいしかできないでしょう。

一つカウンセリングの意義があるとするならば、この点だと思います。日常生活はそれでも目まぐるしく進んでいく中で、なるべく早期の前向きさを求められるかも知れません。(この点については、喜びや悲しみをどう考えるかでも触れています。)

受験に伴う喪失感であれば、周囲は、「第2希望でも入れるだけましじゃないか」とか、「早く気持ちを切り替えて、就職に備えた方がいいよ」などという言葉がけに直面するかもしれません。

このように言う方も、別に悪気があるわけではないのだと思いますが、この場合、受験に落ちた、悔しさは、なかなか報われない思いとなってしまいそうです。悔やむことも、前向きになることも、同じくらい大事な気持ちなのではないでしょうか。

このように、物事は簡単に済むことばかりではなく、十分に自分自身の思いに時間や労力、スポットをあてられる時間があっても良いのではないでしょうか。

さらに言えば、自分の気持ちなど見たくない、ということも尊重されるべきだと思っています。カウンセリングという場は、あらゆる方向性に開かれている点が日常との違いだと思います。こ

れが心理カウンセラーが喪失を聴くという仕事の一側面だと思います。

時に、その先には、思いもしなかった意味が浮かび出てくることさえあるものです。