最終更新日 2021年10月4日
心理的なケアは、意識せずとも絶えず自動的に行われているものではないかと感じることがあります。 例えば、会社や学校、地域団体など、これらには自然とケアを行う能力が備わっているのではないでしょうか。
カウンセリングは土地や文化による自動修復システムの恩恵を受けている
会社を例にとって考えると、新入社員は、入社すると、先輩社員と出会います。 その中で、仕事のノウハウを覚えたり、会社での常識や慣習を知っていくでしょう。
そしていろいろな会社がありますが、時には歓迎会が企画されたり、季節ごとの宴会があったりします。または、社内会議や、社員旅行、幾つものイベントがあるものです。 新しい場所で慣れることが出来るだろうかと不安を感じていた人は、歓迎会でその不安が払拭されることもあるでしょう。(苦手な人もいるとは思いますが) はじめての仕事に恐れを感じていた人は、先輩の指導に救われることもあるでしょう。
時には、叱咤激励があるかもしれません。これらは、意識された心理支援はありませんが、自然と心理支援の意味を持っていることに気づかされます。 専門的な支援とは異なりますが、会社の土壌が既に心理支援の機能を備えているのです。
少し、話は飛躍するように感じるかもしれませんが、ゲリラ豪雨が、なぜ降るのかと、その意味について考えたことがあります。 あれは、むやみやたらに降っているかのように見えますが、地面などを冷やす必要があるときに、降っているように見受けられます。つまり、自然界が修復を行っている様子なのではないかと感じたのです。
臨床心理士はそれを邪魔してはいけない
言わばこれらは、ストレスケアのリソースそのもです。専門的な方法が入ってくると、時に、元々のリソースが軽視されがちですが、むしろ専門的な方法の方が、補助的な存在なのです。 カウンセリングを学ぶと、このような視点は通常自然と持つものですが、なぜか組織を支援する時に、この視点がなくなっていることがあります。
それはあたかも、会社外部の人が斬新な経営方法をもたらし、以前の経営方法を否定するような在り方のようです。社員からはひんしゅくを受けるのではないでしょうか。いままでの苦労が水の泡のようでもあります。
もし、専門家の参入で社内のメンタルヘルス対策に成果が出た時には、それは専門家の力ではなく、元々のケアシステムが活性化されたという方が適切ではないでしょうか。 これが、ケアを行う際の専門家の基本的な態度ではないかと考えています。来てくれない方がまだましだった、と感じている人は少なくないと思っています。