通常気にならずに過ごしている音があります。
例えば、時計の秒針は小さく音を立てていますが、通常気になりません。 しかし、音はずっと同じように存在しているので、これはこちら側の意識の向け方に寄るところが大きいということになります。
時計の音が気になって仕方ない現代社会

時間について触れるとき、様々な切り口はありますが、これは時の流れとは何か?というぐらいに大きなテーマをもった話しにもなってしまうことがあります。
時といえば種類があるなどと考える人は少ないですが、これをクロノス時間とカイロス時間とに分けて捉えることがあります。
我々は、社会生活を送る時、クロノス時間(私たちが知っている普通の時間の事です)を非常に気にしているわけです。
意識を向ければ秒針の音も聞こえる
本題に入る前に、いかに我々の意識が鋭敏であるかに触れます。
耳を澄ましてみるという言葉がありますが、実際に耳を澄ますとはどのようなことを言うのでしょう。しかし、我々はそれができます。 つまり、意識を音に集中しようとする方向に意図しているようです。
手を動かすとか、足を上げるとか、こういう動作は非常にわかりやすい話ですが、「目を凝らして見て」ぐらいになると少し難しくなってきます。
このようなことから、集中力とか意識というものは目で存在を確認しにくい内容ですが、確かに存在していて、そしてそれを我々はコントロールしてもいるようです。
意識や注意の話になったついでに述べておくと、駅の雑踏の中で我々は会話することができます。他の音にまぎれて、会話の声など聞こえなくようにも思いますが、平然と会話することができるのです。
もちろん、雑音の音量が極端に大きければ、どこかの時点で会話は難しくなると思いますが、たいていの会話が可能です。
このことは、カクテルパーティー効果と呼ばれる現象で心理学では説明されています。
これは地獄耳の説明にもなるでしょう。
因みに忍者は何里も離れた場所で針が落ちる音を聞くというではありませんか。(その実際はさだかではありませんが。)
何か気持ちが焦る
もう一つ触れたいのは、時計のチッチッチというあの音を聞いているだけでも、気持ちが焦るようなことはないでしょうか。
つまり時間が着実に進んでいることを嫌でも突きつけられることになりますから、不全感があるような場合にはあの音は重くのしかかってくるのではないでしょうか。
いかに現代社会がクロノス時間によって支配されているかを物語っているかのようです。
家族旅行先で仕事のことが気になって仕方なく、タクシーを使って高速で先に帰る父親
こんな父親がいるかどうか、でもありそうな話だと思います。
例えば、仕事の忙しい父親が家族の強い希望に押されて山奥の温泉に宿を取ったとします。
山奥まで来てしまえば流石にお父さんも仕事の事は忘れて、気楽になってくれるはずだと考えてのことなのでしたが、しばらくするとお父さんはイライラし始めたのです。
そして一泊目の夜についにはタクシーを呼んで一人で帰ってしまいました。
やはりどうしても、休み中に片付けなければならない仕事があるとのことでした。
温泉に浸かっている時もなにやら難しい顔で考え込んでいたそうです。
このとき、お父さんの心は温泉宿にはなく、家族と楽しいひと時というところより、仕事によって埋め尽くされていたのでした。
こんな人いないと思うかもしれませんが、現代社会においてはありそうな話だと思います。
いつも仕事のことばかり考えていて、家族団らんの時でも心ここにあらずという具合のお父さんは日本にたくさんいたと思います。
我々が時計の針の音を気にするのは、もしかするとその背景には何かに追われて一瞬一瞬のことを噛みしめるよりも、別な事を考えさせられ続けているためなのかもしれません。
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まとめ
いつもなら気にならない音が、確かに気になった経験を持っています。
もしかすると疲れていたのでしょうか。
疲れというと逆に聞こえないのではないかと思われますが、「ずっと張っていた」と言い換えれば納得いくかもしれません。
朝の連続ドラマを見ていたら、先生の足音をずっと気にしていたためか、町中で不思議な音に気付いたというエピソードをやっていました。これはずっと気が張りっぱなしということの例だと思います。
とりわけ現代社会は溢れるような情報に晒される毎日です。これはストレスでもあるのです。
現代人は交感神経優位になりがち