ストレスのカウンセリング

重苦しい

カウンセリングでは多様なテーマが話題になりますが、ストレスそのものが話題になることもあれば、何かの一コマでストレスに触れることもあります。

特段、ストレスに特化したカウンセリングメニューを用意しているということではありません。

ストレスのカウンセリングとはどういうことなのか

一つには、ストレスを自覚する過程で話題に上るということがあると感じています。実はあれがストレスだったのかもしれないと、カウンセリングの深まりとともに、気づかれるストレスがあります。

ストレスを自覚した方が良いのかどうかという点については、議論の余地があると思いますが、自覚することで、進展することも多々あるでしょう。

無理に、「それがストレスです」とカウンセラーが断定するのも時に有益とは言えません。

誰かにストレスだと指摘され、渋々カウンセリングにやってきたのかもしれません。

ストレスは実際のところわからない面も多い

ストレスがはじめから明確である場合もあることから考えても、自覚ということが進展のエッセンスなのかどうかはわかりません。

また、あるストレスがはじめは悪影響しているように見えていても、ある時期から実は好影響を与えている存在だったと見えるようになったと感じることもあります。

これは中国の故事にある、万事塞翁塞が馬の世界観と通じるところがあるでしょうし、昨日の敵は今日の友などということもあります。

こうして考えて行くと、ストレスの位置づけや考え方は、決して一義的にはできないという考え方を抱きます。

ストレス理論も関係はするが・・・それは心理教育的

ストレス理論

カウンセリングにおけるストレスの位置づけを考える場合、そこにはいくつかの階層があるようにも思えてきます。理論上のなど事、日常生活上でのこと、カウンセリングと言う非日常での事、などであり、同じことを話題にしているはずでも何かが違うわけです。心理学は、汎適応症候群にも後に注目し、確かにストレスという概念に注目してきました。

そういうわけで、ストレスとカウンセリングに親和性がないはずはないのですが、カウンセリングの中でストレスがテーマにのぼる時には、単にそういうことだけではありません。

ストレス理論を勉強して対処法を学んだり、練習するというやり方は心理教育的と言えるでしょう。

参考サイト:ストレス反応とは

 

健康法のような位置づけでストレス対処の方法を用いることもある

また、ストレスマネジメントなどという言葉があるように自分でストレスに対処する方法を学んでもらうことも臨床心理学の分野にはあります。これはカウンセリングとは違う次元で行われます。(難しく感じられると思いますが、一方でカウンセリングの次元で行われることもあります。)

当オフィスにおいては、勉強会の枠組みで健康法のようにリラクセーション法を紹介しています。

参考ページ:セルフケア勉強会

 

カウンセリングにおけるストレス

全ての場合に当てはまることではありませんが、ストレスを共有する中で、やはりその意味のようなものが共有されてくることがあります。

ストレスという、いわば表層的なことを通して、実は、その人の生き方根底に関わる、大事な話を共有していたと感じることがあるのです。

これはストレスということに限らず、子育て、人間関係など様々な話題を対象にして生じることでもあります。

この場合、ストレスを切り口に、その人にとってのより良い生き方や方向性を探すことになったと言えるでしょう。それがカウンセリングです。

体験レベルのことにフォーカス

また別な切り口から補足すると、「どのようなストレス体験をしているか」に注目するのもカウンセリングの特徴と言えます。例えば、「長時間のパソコン作業」というストレス状況に直面したとき、それは個々人で別な体験をします。

ある人は、「仕事中なのだから、しっかり取り組まなければ」と捉え、別な人は「こんなやり方は馬鹿げているから適当に流そう」などと捉えるものです。体験の仕方よってがらっと様相が変わります。後者の方が単純には負担度が少なく済むでしょう。前者の方は、責任感ある態度を持っていることが容易に想像できます。そしてその責任感の強さは持ち味でありこれも否定されるべきものではありません。

カウンセリングではこの水準で対話を重ねて行きます。

この体験レベルのテーマは、パソコンの使用に限らず、子育てや介護、人間関係などにも幅広く登場するものです。その中で、よりよく自分らしく在る・生きて行くとはどういうことなのか、それを探求する過程がストレスのカウンセリングになります。この視点でカウンセリングを捉えると、社会生活の各所に臨床心理士が活動していることに納得が行きます。