リアリティショックとは

この言葉はストレスというカテゴリーでまとめるか、または、ライフイベントと言っても間違いではないでしょう。

リアリティショックは特に、看護師さん達の間ではかなり良く知られる言葉となりました。しかし、看護現場だけの概念と捉えるよりは、対人援助職全般、さらにもっと幅広い意味で考えることもできる概念であると思います。

リアリティショックとは

まず、リアリティショックとは、思い描いていた理想と、現実とのギャップにショックを受けるようなことを指しています。

看護現場であれば、十分に一人一人の患者さんと関わりたいと考えていた新人看護師さんが、病院内の多忙な会議などに追われて、自分の考えていた看護を実践することが困難になった場合などが想像できます。

リアリティショックせっかくナースになったのに、会議ばかりに時間をとられては、充実感も得られにくいのではないでしょうか。

ナースに限らずこうした内容をテーマにしたドラマや映画を見かけることもあると思います。

 

ドラマの中のリアリティショック

その中には、成長の物語としてまとめられているものもあることでしょう。一人の人間が、何かを志し、そこへ向かい始め、しかし現実を知った時に大きなショックを受けるわけです。そして、悲しんだり、怒ったりしながら、一皮むけた人間として描写されるような物語です。幾つもこのような物語を見た記憶があります。

上述したように、はじめのうちは、理想との違いに怒りや悲しみが前面に現れるという描写が多いように思え、後半になると、はじめは対立していた上司や同僚と理解し合うような描写が出てくるものでした。

教師をテーマにした作品は特に多いのではないかと思います。ナースや医師を主人公にした作品も多くあります。テレビに限らず、本や漫画でもたくさんの作品が残されています。

ショックな出来事

ショックな出来事ですから、こんなことは起きない方が良いと考えたいものですが、別な見方をすれば、こうした経験を通してその人らしさを深めて行くとも見えます。

現実とのぶつかり合いの中で、よりその人の理想ということが浮き上がってくることもあるでしょう。同じ現場に残り続けるかどうかは別にしても、時にこうした現実とのぶつかり合いは、その後のその人の進みたい方向を示してくれているようでもあります。

先輩の苦労話など聞きながら、逆に「私はこうした経験を全然してない・・・」と心配になる人もいるのではないでしょうか。それについてはまた別な展開の可能性があるということなのだと考えていますが、また別の機会にしたいと思います。

ある看護師の場合

援助職の中にもリアリティショックはよく起こるものだと思います。看護師さんの間ではかなり知られている概念のようです。物語風に、どんな心の動きが起きるのか追ってみたいと思います。

憧れの職場

例えば、憧れの職場に勤務することが叶うなどという場合があるかもしれません。ば有名な著作を書いている先生がいる病院、著名な看護師がいるという病院、いつもテレビでコメントしている人が勤務す病院などです。

著名なと書いてしまいましたが、この背景には、きらびやかな世界への憧れがあるのではなく、援助職として、本に書いてある内容が素晴らしく感じられ、援助職として魅力を感じ、近い距離で学びながら働き、理想の援助を実践しようという強い思いがあるという意味です。あの職場であれば自分の力を十分に発揮できるのではないか、また認めてもらえることもあるかもしれない、等の思いがあるかもしれません。

つまり、たくさんの希望や情熱を持って就職しようという気持ちが感じられます。就職できたから生活は安定という発想ではなく、バリバリ働こうと思っているのです。

就職

就職をしてみると、職場の様子は映像や本で見ていたときより、非常に近く現実味を帯びて行きます。はじめは、真っ白に見えた壁も、近づいて見ると、だいぶ年季が入ったものであることがわかったりもします。

多くの場合、就職してからは、現場での研修があります。はじめは特に忙しく、その後も忙しく、その先もやはり忙しいというのが、この分野の常識のようでもあります。3日・3月・3年と言いますが、3日目で大きなショックを受けることもあり得るのだと思います。

就職してすぐに、自分の考えていたことを実践できるかと言えば、それは技術的にも経験的にも無理があることになります。気持ちはわかりますが、そう簡単にいかないことだらけで、当面の間は研修を続けながら先輩の指導の下に業務にあたることになるのだと思います。

就職したばかりの時がエネルギーは一番有り余っている時期なのではないでしょか。しかし、多くの場合、しばらく勝手に動かないようにとのブレーキがかけられる方が自然でしょう。しかし、本人からすれば不全感が募るばかりの時間です。

会議や研修の継続

数か月も勤務すると、新たに覚えなくてはいけないことがあまりにも多い事を知り、そしてそれが、ずいぶん長く続くであろうこともわかってしまうと思います。そして、自分が考えていたことの実践はいつの日の事になるやらわからなくなってしまいます。時には、それどころか先輩に怒られてしまうことさえあり、進歩しているはずが、後退しているように感じられることもあるでしょう。

会議はどんどん増え、職場内の委員会やらにも組み込まれていきます。会議資料をコピーしたり、机の配置を変えるのも多くは新人の仕事であることがわかっていきます。まるで、会社のようだと感じるのではないでしょうか。はじめに感じた不全感は益々強まっていくのではないでしょうか。

本を書いた先生

そういえば、就職のきっかけになったという本を書いている先生はどうなったのでしょう。病院によっては迷路のような構造になっており、同じ病院に勤めていても、滅多に顔を合わせないスタッフがいることも事実です。

数か月勤務してやっと見かけたのは、忙しそうに小走りしていく先生の姿で、自分が話しかけられそうな余裕など一切なさそうだったのです。せっかくならば、ゆっくりと本の内容などお話したいところですが、著名な先生のためか、そんな会話ができるチャンスはなさそうなのでした。

こんなはずじゃなかった

たくさんの書類に目を通したり、たくさんの会議に出席したことは確かですが、何か考えていた仕事と違うのではないかと疑問も募っていくのではないでしょうか。そんな疑問の最中にも忙しく職場は動き続け、本人の中では「こんなはずじゃなかった」という叫び声が響いているのかもしれません。

まとめ

最後には、物語風にリアリティショックで起きる心理的動きを追ってみました。希望が見えないまま話は終わってしまいましたが、これで話が終るわけではありません。実際に職場を変える人もいれば、そのまま残る人もいることでしょう。

そこには、援助職としての物語が続いていくのです。今、この時間も多くの援助職が活動し続けていることは当然ですが、その人達にもかつてこのような経験がきっとあったのではないでしょうか。

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