普通を目指すのが、必ずしもいい方に出るとは限らない

普通の人

普通とは何かと考えると、これは難しいテーマです。

ですが、世間が常識と言っていることがそうだとすれば、だいたいのイメージはつくものです。

このイメージは地域や年代などによっても微妙か大きく異なりますが、概ね日本社会に漂うイメージには察しがつくと思います。

日本社会に漂う普通とは

まず第一には、職を持つことです。それも正規雇用です。

成人すると、初めて会った人に「どんなお仕事をされているのですか?」などと当たり前のように尋ねる人があります。

聞かれたくない人もたくさんいると思いますが、よく聞かれるはずです。

それから結婚でしょうか。

まだ結婚してないの?などと平気で言う人もいますので、結婚してない人をどこか普通でないと見ているのでしょうか。

普通を目指さなければいけないような気がする

このような中で生きていると、自分も普通を目指さなければいけないような気持にさせられるものです。

早く正規雇用を得なければ、とか、婚活パーティーに出掛けなければといった具合にです。

また、お金を何歳までに幾ら位貯めているか、これにも「普通」が恐ろしく付きまといます。銀行が示すライフプラン表のようなものを見たことがあるでしょうか。あたかも普通という体で就職・結婚・出産・・・などとライフイベントが次々と書かれていますが、「全くもって自分の歩んでいる人生と違う!」と怒りたくなる方もいるのではないかと思うところです。

現代社会において多くの人がこの感触を味わっているのではないかと推測しています。

本当に働きたいか?結婚したいか

価値観の多様化などとは謳いながらも、正規雇用や結婚が当然視されている現実はやはりあるように思います。

ですが、そうでなく自分の人生を進める人もたくさんいることも事実です。どちらがすぐれているなどという事は関係なく、それぞれの在り方があっていいはずです。

普通にならない自分を良くないと思う時、それは心の安定も崩しやすくなってしまうのではないでしょうか。自分はこれがいいと感じている時の方が、少なくとも心の安定は大きいように思います。

普通があっているという人は普通を目指すのが良いのでしょう。しかし、普通が合わない、窮屈、嫌な感じという場合にはもっと幅広く人生とは何かを探すのも良いのではないでしょうか。

紆余曲折を得てやはり普通が良いと落ち着く人もあれば、やはり探して良かったという方もあると思いますし、なかなかそれが見つからないという方もあるでしょう。