評価から離れた時間であること

カウンセリングの誤解の一つに、カウンセリングは指導であるということを挙げてよいと思います。また、たくさん話したり、積極的に意見を述べたりすることがカウンセリングでは望ましいということもまた誤解と言えるでしょう。

日常生活の中には、「評価」ということがどうしてもついてまわります。

例えば家庭の中でさえ評価は頻繁に行われています。

「お兄ちゃんを見習いなさい」とか、「お父さんみたいになっちゃうわよ」というセリフを聞いたことがあるかと思いますが、わかりやすいところでは、これも評価の一種だと考えられます。

また、「お兄ちゃんはよく勉強して偉いね」というセリフも、誉める行為ではありますが、それでは勉強しない弟はどうなるのだろう、ということを考えると、やはり評価の影が付きまといます。

これは、日常に在りそうなことを例として用いただけであり、こういうことが悪いと述べているわけではなく、当然評価や競争の中でたくましく育っていくという面も大きいわけです。

ですが、日常は評価であふれかえっていると想像できます。

カウンセリングは評価から離れた時間

カウンセリングは非日常性を備えていると何度も述べてきましたが、日常に評価があふれかえっていることに対して、評価から離れた時間であれば、カウンセリングのその時間は、いよいよ非日常性を高めると考えられます。

評価をしない世界が正しいということではなく、評価から離れた時間が存在するということになります。そこでどのような体験をするかという点がカウンセリングにおける一つの醍醐味となるでしょう。

評価から離れ、価値観からの離脱が起きたとき、案外素朴な語りから、その人の興味関心や、進路、やってみたいことなどが浮かび上がってくることもあるでしょう。

このような話は大事なお話ですので、時間をしっかりきめて、プライバシーの守られる空間でお話いただくわけです。

これがカウンセリングの仕事の一つであると考えます。