客体化

カウンセリングを行うことによって何が起きているのだろうかという点についても考えるところが出てきています。

多くの場合カウンセリングでは言葉によるやり取りが主たる動作になります。言葉を交わすことによって何が起きるというのでしょうか。

教育・指導・説得などとの相違

まず、心理カウンセリングは何かを教えようとしたり、考えを変えるように強く主張することとは基本的に異なります。お話を伺っていて、それならこうした方がいいのではないか?とカウンセラー側が感じたとしても、それを押し付けようとする態度はそこにはないわけです。

話を進めるために、カウンセラーの感じたことや考えを伝えることはあっても、そのようにするべきであると説得しているわけではありません。

学校や職場では何か新しいことを学ぶ際に、先輩や上司、先生などから指導を受けることがあるでしょう。それは知識であったり、技術であったり、心構えであったりします。一応それは指導する側の中に準備された内容が多くの場合はあるはずで、それを伝えようとしているわけです。

カウンセリングでは、予め準備されたことはないのです。もしこれを準備しようとしたら非常に限られた内容になるでしょう。

カウンセラーは鏡

客体化

カウンセリングは聞いているだけである。というご感想をいただくことはよくあります。実は、この中にカウンセリングの特徴が含まれているともいえます。

上述したように、カウンセリングでは、カウンセラー側の主張ばかりを押し通すという態度はなく、自由な語りを展開していただけるような時間になるよう努めているわけですが、カウンセラーは、うなずいたり、要約したり、時々質問を挟んだりしています。

こうして、どんなことをお感じになっているかなど、その人の体験が明確になっていくのです。

こうしたやり取りがカウンセリングの一部になるわけですが、カウンセラー側の理解が進むとともに、クライエント側にも、自分自身の体験への気づきが生じてきます。

それは、「怒っていたのだ」とか「焦っていたのだ」など自分自身の体験に対する気づきと言えるでしょう。

このような時、カウンセラーは、クライエントの体験を映し出す存在としてそこにいたとも言えるわけです。

こうして、客体化された自分自身の体験を振り返り、何かのひっかかりが明確になったり、もやもやしていたことが明らかになったりするわけです。

この客体化もカウンセリングの中で行っている仕事と捉えてよいのではないでしょうか。結果的に客体化が起きるという表現の方が適しているかもしれません。

こうしたことの連続の中に、クライエント自身の進みたい方向が現れてくることもあるでしょう。