実家を出て生活している学生や、社会人の方が、お盆や夏休みに帰省のタイミングが訪れても、時には帰りたくない。。と思う方もあるのではないでしょうか。 これには様々理由が考えられますが、帰省すると力を失うという方はないでしょうか。
考えただけで疲れる。実家に帰りたくない。帰省すると力を奪われる
世の中には不思議なことがあるものです。 独りで生活している時には、食事の準備も掃除や洗濯も全部自分でこなしている場合でも、実家に帰ると途端にできなくなってしまうのです。 こんな経験をお持ちの方は少なくないとみています。
帰らなければ本を何冊も読んだだろうに
もし帰省しなかったら、どんなに有意義に読書でもして過ごしたことでしょう。 しかし、実家に持って帰った本は数ページしか開かれることはなく、重い荷物にしたことを後悔だけで終わることもあるでしょう。 実家に帰ると途端に読書どころではなくなってしまうのです。 疲れるために帰って来たのか?と怒りを感じる方もあるでしょう。
これは、どういうことなのか?
人が変わったわけではありません。 なぜか実家のエリアに入ったとたん、現在の力を奪われてしまうかのような・・・。 これは錯覚なのでしょうか。 実は疲れていて、久しぶりにほっとした分、ゆっくりしてしまったのでしょうか。
この説明も一つには成り立つでしょう。
その他、役割にはまってしまうような感じがしています。 つまり、いつまでも両親からしてみれば、子供は子供なので、そこに合わせてついつい子供の頃の自分のように過ごしてしまうというものです。
しかしこの場合、非常に窮屈な感じを覚えると思います。 前向きに捉えれば、自分の生活スタイルができあがっているということを指すのでしょう。スタイルに限らず、自分自身の世界観がしっかり構築されたからこそ、かつての生活がしっくりこないという捉え方です。
かつてなら落ち着けた部屋も埃っぽく感じる
いつの間にか、すっかり大人になってしまったのかもしれません。
こんな風に考えだすと、少し寂しい気持ちになります。
人はどこか、こんな風に心のどこかで考えているものでしょうか。
だからこそ今の仕事に無茶してでもチャレンジできるのだということになります。
しかし、いずれは実家が安息の土地とは感じられなくなるのだとしたら、益々自立を促進する必要があるということなのでしょう。
つまりもう実家には期待できないのです。
いや、実は帰りたかったのだと気づくこともある?
人間の成長とは、少し寂しい面が付きまとうように感じています。パフ・ザ・マジックドラゴンなどを聞いていてもそう思いますが、いつまでもいつまでも同じように暮らしていてはいけないのでしょうか。
人生とは何が正しいのかわからないものです。 実家で力を奪われてみて、逆にこちらの方が本当は求めていた世界なのでは?と思い直す方もいることでしょう。 唐に渡った阿倍仲麻呂は、日本の事を思いながらもついには願いが叶わないままでした。
もしも実家に帰ることになったら、疲労を最小限に収める工夫を考える
さて、どうしても実家に帰らねばならないこともあると思います。例えば誰かの命日や墓参り、法事・・・などなどです。
日帰りを基本とする
遠方の場合、日帰りは不可能かもしれません。全ての人が使える方法ではありませんが、発想としてはなるべく実家に宿泊する日や滞在時間を少なくするものです。
仕事の出張を思い起こしてみると、東京、大阪辺りなら、だいたい新幹線で日帰りです。移動時間だけでも5時間はかかるでしょうか。すると滞在時間は本当に限られてくるのです。
終電にする必要などはありません、明日の仕事に備えて早く帰らなければならないのですから、そそくさと帰ってしまうのです。すると午後13:00からの法事だとして、17:00には出発できたら滞在時間は4時間程度に収まります。小技を併用すれば、さらに親族との接触時間は減らすことが出来るでしょう。
早めに帰るが、実は宿泊して帰る
これは明らかになるとひんしゅくを買うことになるかもしれません。しかし、せっかく遠くまで来たのですから、懐かしい店に寄ったり、友人に会いたい気持ちもあるでしょう。
17:00に出て、誰かと会っているうちに22:00くらいになってしまったら、もう帰れません。(友人がSNSに勝手に書いたり写真を載せることがあります。その点はよく説明してやめてもらいましょう。)
ついつい長居をしたので、宿泊して帰るのです。もし明らかになってしまっても、このように説明すれば親族にも角がたちにくいでしょうか。
単純に、帰るつもりだったけど途中で疲れを感じて一泊することにした、気をつかわせるから敢えて実家には戻らなかった、などと言っても良いではありませんか。
実は前泊するという応用も使えます。
食事の場所
久々の帰省に、親族は手料理でもてなそうとするかもしれません。
これは、申し訳なく感じますが、13:00集合なら先に食事は済ませてゆきます。そして、夕食も帰りがけにとるのです。これにより、親族と食事の時間は消滅します。
心配させて気が引けるから、色々言わない
このような態度をとることに罪悪感を覚えるものです。しかし、まともにやっては疲れてしまうのですから、何か良い考えを見出せないものでしょうか。
一つには、前泊するなどと言ったとたん、実家側は「夜中でも駅に迎えに行くよ!遠慮しないで!」などと気をきかせてしまうものです。年老いた母が23:30の暗い道を独り走行する姿はどうでしょうか。
そんなことをさせないためにも、敢えて言わないのです。心配させないために言わないのです。
これは親を気遣う態度ではありませんか。そして嘘をついた罪悪感も同時に活用できます。罪悪感を抱えながら合った方が、母親に優しく接することができるのです。(ウルトラマンのような時間制限はあります。)
余計な事を言うとボロが出る
あわせて、宿泊予定などのこととは別に、普段の生活に関してもあまり余計な事は言わないようにするのはどうでしょう。
おそらくこんなやりとりに発展します。帰省した娘からすると、ただのボヤキなのですが、母親は深刻に受け止めています。
逆にこんな感じだと、おさまりがつきやすいのでしょう。
もちろん、本当にしんどいとき、親族が一番の理解者になってくれることもあります。これは一例だとお考えください。ここでは日常会話レベルの話をしています。
まとめ
せっかくの帰省ですから、なるべくは疲れずに終わらせたいものです。
しかしながら、そうもいかないことだらけです。帰省休暇の他に、予備日を設けて、帰省休暇疲れのための休暇を取得するのはどうでしょうか。