カウンセリングにおいて、リソースという言葉が使われることがあります。日本語にすれば、内的資源となります。
時にカウンセラーはアドバイスを行う行わないで、議論になる事がありますが少なくとも問題を解決するのは、カウンセラーの力ではないと感じています。
もちろん、カウンセラーが何もしていないというわけでもありませんが、何かしているとしてもそれは、リソースの活用とでも言えることなのです。
リソースの活用
リソースとはその人が持っている様々な能力、力などのことを指しています。例えば、あるストレスに悩む人に、いつもはどうなさっているかを尋ねると、何らかの対処方法が出てくることがほとんどです。
その対処方法は様々であり、ある人は音楽と答え、ある人は運動と答えるでしょう。
この時、運動は体力を消耗するので、もっと別な方法にした方が良いなどとカウンセラーは考えず、運動が一つのリソースになっていると捉えるものです。
その人が待っているリソースがどのようなものであるかを明確にするだけでも意味があるものです。
このことからも、カウンセリングは、カウンセラーが何かを与えるというよりも、その人の強みや持ち味を活用するものであることが一つの特徴と言えると思います。
最もリソースを強調した臨床家は、ミルトン・エリクソンではないかと思いますが、やはりカウンセリングを勉強するとリソースの重要性に気づかされます。
あらゆるところにそれはある
このようにリソースと聞いた時に、多くの人は、体力、趣味、明るさ、前向きさなどをイメージすることが多いと思います。
逆に、不安、出不精、控えめ、などのことは、リソースとしてイメージする人は少ないようです。
しかしながら、果たして本当にそうでしょうか。カウンセリングの考え方・態度からしても、この点には疑問を感じます。社会は、どうしても前向きで、標準的、平均的な方向を肯定する傾向があります。
本人すら、不安や出不精をネガティブなことと考えているのだと思います。
しかし、そこにはやはりそれらが存在している何らかの意義があり、むしろそれらが何かを支えている可能性も考えられます。リソースを探すとは、本格的に取り組むとこのような点まで意識が及びます。
カウンセリングの場合では、CLとカウンセラーが紡ぎだす物語の中に、リソースが生まれ出て(すでにそこにあったもの)くるという感覚のほうが強いように思います。