対人援助職のセルフケアを考えることには深い意義があると捉えております。
他者支援を専門とする者が、なぜ自分自身のケアなどに時間を割くのか?と後ろめたさをお感じになられる方もあるでしょうか。
対人援助職のセルフケア
当オフィスにおいては、心理カウンセリングを専門としておりますが、別途勉強会を企画しております。その中で、心身のリラクセーションを学ぶ「セルフケア勉強会」を随時実施しております。
この勉強会は、対人援助職自身にも意味を持つものと考えております。
身を粉にして支援にあたる、本当に多くの尊敬できる対人援助職者を多数知っています。
援助職者が力尽き、倒れた後の支援は誰が担うのか
我々が直面する矛盾とも呼べる大きな命題は、援助職者が倒れた後、援助を受けていた人を誰が担当するのかという点です。
「別な看護師が担当します」とあっさり言える立場の方もあるかもしれません。
しかしながら、何人も倒れて行ったら最後には援助職者がいなくなり、支援もそこで終わることになります。
実はセルフケアが、支援を必要とする人を長く支えていくことになる
このように考えて続けてゆくと、どうやら支援者と支援を必要とする人は一蓮托生の如き関係にあるように見えてきます。倒れないように活動を続けなければならないのです。
つまり、支援者がセルフケアを行うのは、自分自身のためでもあるかもしれませんが、支援を必要とする人のためなのです。
もっと直接的に言えば、必要な人に支援を長く続けるためです。
余談になりますが・・・
コロナ禍、ごく少人数の屋外ランチの際、ある人は椅子を2メートル引いて膝の上に食器を置いて食事を共にしました。上記の写真のように、屋外でという考えは良かったのですが、テーブルも小さいため話し込んでいるとちょうどテーブルの上の料理に飛沫が落下するのです。
ここで感染したなら5日後に予約している方のカウンセリングを中止しなければならなかったからです。大げさな人と周囲の人は見た事でしょう。そのとき、その対人援助職者の体は、自分一人の物ではなくなっていたのです。
長期支援が基本
多くの場合、対人援助職者の活動は長期支援です。もちろん、1回限りのご縁という支援もありますが、多くの場合長い月日を共にする活動なのです。
10年がかりの支援を、対人援助職側が余裕を失ったことで、3年で支援を終了となると、残りの7年はどうしたものでしょう。
もちろん、人間ですからやむを得ない事情で突然の活動中止はあります。それはそれとしても、支援者側がセルフケアを行うことで、長い活動と変えることができるなら、大いにセルフケアを取り入れて良いのではないでしょうか。
セルフケアの意義
どこか、セルフケアに後ろめたい気持ちを感じている方は、このような視点を取り入れてご参加いただくのはどうでしょうか。
セルフケアを学ぶことが、更なるよりより支援を見出すためのきっかけとなることもあるものです。
臨床心理士の世界では、「傷ついた癒し手」という概念がユング派を中心に提唱されています。
確かに、我々は自分自身に意識を向ける時間を必要としているのかもしれません。