得意技を持っていると、心の安定に貢献することがある

もったいぶる

スポーツや武道の試合などを見ていると、それぞれにスタイルが違うことに気づかされます。

柔道であれば、背負い投げの様な技をよく使う人から、小外刈りを得意とする人など様々です。

自分の中に一つ得意技があると、だいぶ安定感が違うのではないでしょうか。

得意技は心の安定に貢献するか

よく話題になるのは新選組のエピソードです。

新選組は幕末において百戦錬磨のようになっていました。その背景には得意技があったとされます。

沖田総司は、三段突きを得意としたと聞きます。これが新選組を最強たらしめた理由の一つだったとされます。(その他チーム殺法などもあったようです)

相当自信をもっていたのではないか

磨き上げられた技はそう簡単にやぶられることはなかったでしょう。これは本人にとって相当な自信だったはずです。

「これは捌かれまい」などという自信があるとかなり安定した太刀筋になるのではないかと思います。

自分にとっての得意技が重要

剣の話になってしまいましたが、これは何も武術に限ったことではなく現代においても応用の効く話だと思います。

知識やスポーツ、趣味、などなどなんでもありでしょう。また、これは非常に狭い話であって、実際には趣味やスポーツに限りません。

ポイントは自分にとっての得意技と言えるでしょう。好きな世界を深めると言い換えてもいいかもしれません。これが心の余裕を作り出すと言えないでしょうか。

他者から見るとその人の得意技は知らないけれど、でもどこか余裕がある人と見えてはこないかと思うのです。

沖田総司の人柄は知りませんが、もしかしたら和気あいあいとした人だったかもしれません。

得意技はもったいぶって出す

新選組では、この得意技を徹底的に磨き上げるという修練を行っていたそうです。これは当時、二度も同じ相手と剣を交わす可能性は少ないという考えがあったためとどこかで聞いたことがあります。

幾ら得意技であっても、何度も見せてしまっては対策を練られてしまうものです。ですが、幕末において再戦は考えないということなのでしょう。

昨今、格闘技の試合ではすべて録画され、次の試合までに徹底的な対策がなされます。初めて見せる技は踵落としのように意外性があって決まりやすくとも、分析されると決まりにくくなってしまいます。

もし、得意技を持っても出し惜しみする位がちょうど良いでしょう。現代においてはどんなに優れた得意技であっても皮肉ややっかみの的になりますし、因縁をつけられるものです。

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