最終更新日 2024年10月6日
カウンセリングでは多様なテーマが話題になりますが、ストレスそのものが話題になることもあれば、何かの一コマでストレスに触れることもあります。
特段、ストレスに特化したカウンセリングメニューを用意しているということではありません。
ストレスのカウンセリングとはどういうことなのか
一つには、ストレスを自覚する過程で話題に上るということがあると感じています。実はあれがストレスだったのかもしれないと、カウンセリングの深まりとともに、気づかれるストレスがあります。
ストレスを自覚した方が良いのかどうかという点については、議論の余地があると思いますが、自覚することで、進展することも多々あるでしょう。
無理に、「それがストレスです」とカウンセラーが断定するのも時に有益とは言えません。
誰かにストレスだと指摘され、渋々カウンセリングにやってきたのかもしれません。
カウンセリングにおけるストレス
全ての場合に当てはまることではありませんが、ストレスを共有する中で、やはりその意味のようなものが共有されてくることがあります。
ストレスという、いわば表層的なことを通して、実は、その人の生き方根底に関わる、大事な話を共有していたと感じることがあるのです。
これはストレスということに限らず、子育て、人間関係など様々な話題を対象にして生じることでもあります。
この場合、ストレスを切り口に、その人にとってのより良い生き方や方向性を探すことになったと言えるでしょう。それがカウンセリングです。
体験レベルのことにフォーカス
また別な切り口から補足すると、「どのようなストレス体験をしているか」に注目するのもカウンセリングの特徴と言えます。例えば、「長時間のパソコン作業」というストレス状況に直面したとき、それは個々人で別な体験をします。
ある人は、「仕事中なのだから、しっかり取り組まなければ」と捉え、別な人は「こんなやり方は馬鹿げているから適当に流そう」などと捉えるものです。体験の仕方よってがらっと様相が変わります。後者の方が単純には負担度が少なく済むでしょう。前者の方は、責任感ある態度を持っていることが容易に想像できます。そしてその責任感の強さは持ち味でありこれも否定されるべきものではありません。
カウンセリングではこの水準で対話を重ねて行きます。
この体験レベルのテーマは、パソコンの使用に限らず、子育てや介護、人間関係などにも幅広く登場するものです。その中で、よりよく自分らしく在る・生きて行くとはどういうことなのか、それを探求する過程がストレスのカウンセリングになります。この視点でカウンセリングを捉えると、社会生活の各所に臨床心理士が活動していることに納得が行きます。
まとめ
「ストレス」という単語は非常に抽象度の高いものとなりました。それは一体何のストレスなのでしょう。仕事関係、家族関係など非常に捉えどころのない単語でもあります。
ですが、カウンセリングは兼ねてより、曖昧模糊とした言語化される以前のもやもやした感じなどにフォーカスしてきました。ストレスというそのとき、「もやもやする」と捉え直してカウンセリングを進めて行くというのも一つでしょう。
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