ストレスが多いと言えども、我々にはストレスに対処していける力があり、その対処のことをコーピングと言います。 先のページでも触れましたが、例えばジェイコブソンの漸進的筋弛緩法もコーピングの一つと言えます。ジェイコブソンの方法は専門的でありますが、入浴や食事、運動なども日常的に行われているコーピングの一種になります。
我々はストレスに対してコーピングを持っている
コーピングはなるべく多くの手段を持っている方が良いのではないか、という見解があります。つまり、運動というコーピングを持っている人が、買い物や音楽などの手段もレパートリーに持っておくことで、コーピングの幅が広がり、よりストレスへの対処がうまく行く可能性を高めるということにつながるようです。
確かに、運動をコーピングにしている場合、もし怪我をして運動できないような際には、コーピングとしての機能を果たせなくなる部分が多くなってしまうことでしょう。もちろん指導側に回るとか、この際スポーツ研究の時間に使うなどという方法は考えられますが、思い切り体を動かすことからはしばらくの間遠ざからざるを得ません。
また、なるべく数が多い方が良いということ以上に大事に感じることは、やはりその人にあった方法であるかどうかという点です。好きでもない音楽をストレス対処の方法だからと聞き続けるのは新たなストレス以外の何物でもないでしょう。
コーピングのタイプ
また、コーピングは幾つかに分類して考えることができます。 ストレッサーに曝されたとき、その対処法方略は様々考えられます。 例えば、何かのテストを受ける時多くの人はストレスを実感するものですが、この状況に対しても我々はコーピングを働かせ対処しようとしています。
問題焦点型
テストの不安に駆られている人は、なるべく多くの情報を集めたり、たくさん勉強時間を確保するという対処になるかもしれません。
気分調整型
別に今回のテストができなくても、次があるさと、気楽に考えようとする人もいます。
回避型
いっその事、何らかの事情を探してテストを受けないことにする人もあるでしょう。
このように、コーピングの種類は、色々と挙げられます。回避できないテストがあったなら、このとき回避型のコーピングは塞がれてしまうので、レパートリーはやはり多く持っていた方が対処しやすいのでしょう。
思いつく限りのコーピングをストックする

人の方法も知っておくと取り入れられるものもあるかもしれません。今は興味がない、現実的ではないと感じるやり方であっても、いつか役に立つかもしれませんし、或いはカスタマイズして我がものとするのもよいでしょう。
余裕があるときにでないと手をつけにくいことですから、「コーピングリスト」、「コーピングマップ」(私版)のようなものを作っても良いと思います。
とにかく良く寝る

眠りは最大の防衛とも呼ばれます。
起きている時にはあれこれと考えてしまう事もあるものです。良く眠ると疲れも緩和され、新しいアイデアも生まれやすくなるのでしょう。
また、寝ている間に時間が過ぎて問題が解消されていることもあります。
誰もいない温泉を貸切る

日本人の家庭用のお風呂は限度があります。アパート暮らしならシャワーだけになる事もあります。
そんなとき、大浴場は気分を変えてくれることがあります。
誰もいない時間を狙えたら貸し切り状態です。
旅館も、日帰り入浴をやっています。500円程度の入浴料で温泉につかれることもあります。
ドライブは一人の時間を満喫出来て開放的

車でドライブに出かけることが、良いリラックスに繋がることもあるでしょう。もちろん長時間の運転は集中力を使い、疲労を招きますが、広い意味で、疲れを取るということだけではない、それとは違う次元で得られることがあるのではないでしょうか。
※一線を越えたへとへとの状態でのドライブは、危険ですので、お奨めしません。
ドライブの場合、そこにどのような体験が伴うかと想像すると、一つには「自由感」ないしは「開放感」ということが挙げられるのではないかと思います。
車という乗り物は、一人でも乗車することが可能で、電車に比較すれば、他者の目につきにくいという特徴があります。街から離れれば、ほとんど人に合わないというエリアもあるくらいでしょう。
このようなとき、他者の目に気をつかうことなく、自由に方向を選んだり、テンポを決めることができます。当然、法定速度でという意味ですが、休憩の回数なども自由なわけですから、何度でも途中気になったポイントに車を止めて景色を眺めることもできるわけです。
東京都内やその近郊の交通量の多い場所ではこうした自由感は得られにくいと思いますが、交通量の少ない場所では、いろいろと使いようのある時間であると思います。
ドライブ中の音楽
また、車の中では、音楽やラジオを流すことも可能です。自分にとって好きな音楽を流しながらドライブに出かけるということも、気ままな時間として、自由感へとつながるでしょう。
高速道路を走り抜ける
高速道路料金がかかることから敬遠しがちですが、それでも一昔前に比較すると非常に安くなりました。時速100kmで走行すれば、1時間後には、100km離れた場所へ到着するのです。普段接点のない土地へ出かけるということも、自由感と関係するように思います。そして、もっと大きく言えば、非日常ということに関係するとも考えられます。
構想道路であっても、混雑している場合があり、そうした場合は避けたくなります。高速道路にも、空いている場所と時間があり、もし気ままに走行したいということであれば、そうしたポイントにうかがう手が考えられます。
セットプランで相乗効果
車の良いところに、気まぐれで目的地を決められることがあります。ですが、走りすぎた場合、帰りのことを考えなければならないという現実があります。仮に、柏から北に1時間走行したら、水戸付近になるでしょう。
直線ですから、帰りも同様に、同じ道を1時間走行しなくてはなりません。こうした制限がついてくると自由感が薄らいでくるように思えます。同じ道を走るにしても、途中で食事の時間を設けるなり、温泉に立ち寄って帰るなどのセットを組むともう少し別な感じがするのではないでしょうか。
どのような時に自由感を求める
こうした自由感を求める背景にはどのような日常的な体験が考えられるでしょうか。ドライブや上記のような時間が逆に苦痛であるという人もいることでしょう。上記の過ごし方は非常に曖昧で漠然とした過ごし方であると言えるとわけですが、もっと安定感を求めるという人には向かない可能性が考えられます。
このところ、きっちりした仕事ばかりで息が詰まるようであるという場合には、こうした自由感をどこか求めたくなるということはないでしょうか。長時間の運転をするわけですから、エネルギーは余っているけれど、その向かう方向が滞っているという場合などはいかがでしょうか。
ストレス対処とか、セルフケアと言う場合、人それぞれなどと言います。
もう一歩別な言い方をすれば、「どんな体験を必要としているか」と踏み込めないでしょうか。
体験とはつまり、開放感とか達成感、自由感などを指しています。
開放感を求め・必要としている人にはドライブははまりそうです。日頃窮屈な思いをしているのかもしれません。
ひとりっきりの時間も重要。誰にも会わないで自分の時間を持つこと

人に救われたという話を聞くこともあれば、付き合いが煩わしく一人旅でリラックスしたという話もあると思います。
大事なことを考える時に一切の外部からの干渉を遮断して、座禅や瞑想に務める人を映画や何かの物語に見かけることがあります。 集団で行っている姿も見かけますが、全くの一人で行われている姿を目にするものです。我々は、何か大事なことをするときに一人になった方が結果に繋がりやすいこともあるのではないでしょうか。
お風呂やトイレは特別な空間だった
もう少し身近な所では、受験勉強や映画鑑賞などにおいても、外部の立ち入りを拒むことがあると思います。 また、家庭のお風呂などは、最も身近な一人の空間ではないでしょうか。 勉強や映画鑑賞とは異なり、お風呂で何かに集中しているとは考えにくいので、あの時間は、ケアしている時間と言う方がもっともらしいように感じます。
自分だけの空間
自分だけの空間が確保できることは安心感に繋がるのではないでしょうか。大勢で旅行に出かけるような場合、自分のスペースは限られています。帰宅したときにどっと疲れが出るのは、自分の空間がない場所に長くいたからとも言えそうです。
集団での旅行は疲れるはず
旅行を例にとると、新幹線に乗った場合でも、自分のスペースはごく僅かで限られています。また、食事中にしても皆でということになりますし、お風呂も一緒でしょう。 もちろん、旅行を楽しんでいるわけですから、あまりそういう点に意識は向いていないのかもしれませんが、旅行の疲れの内の何割かは、自分の空間がないことへの疲れではないでしょうか。
就寝時さえもその辺に布団を並べるものです。
鍵付きの書斎は憧れる
自分の空間ということを考え出すと、自分の部屋を想像することになると思います。 自宅と言えど、自分だけの部屋をもてるならば持ちたいものです。だいたいは家族との共用スペースになってしまうものですが、鍵などかけて書斎を持ちたいと思っている人は少なからずいると思います。
家族なのに水臭いと思われるかもしれませんが、案外いい結果を生むように思います。 またこの他に、自分にとって落ち着く場所、安心できる場所も、自分の空間と考えて良いのではないでしょうか。
これは、自宅外でも可能です。 例えば、図書館は人がたくさんいますが、図書館の雰囲気が好きであるという人にとっては、自分の空間になり得るのではないかと思います。 また、一つの場所とは限らず、図書館から最寄りの公園を歩いて帰るのがとても良いという、一連のコースも自分の空間と呼べないでしょうか。
散歩に出かける人の中には、運動目的の他に、自分だけの時間を持つことに意義を言い出しているのかもしれません。
人に疲れているのかもしれない
人はなぜ一人になりたくなるのでしょうか。それほどに普段の人間関係に疲れてしまったということなのでしょうか。 以前に、通勤時間のストレスでも書いたように、混雑した社内で毎日2時間も過ごしたならば、一人の時間や空間を求めても不思議ではないように感じます。
日本全体の問題だ
責任感に押しつぶされたそうになったとき、自分を責めず国の抱える問題のためだと切り替える志向です。
例えば、どこも人手不足で一人一人に負担が増えています。そんなときにミスをしたとしても、それは人手不足のせいなのです。
帳尻を合わせる
その日のうちに終わらないこともあるものです。別に明日やればいいか・・・と思い直すのも一つです。
無理を強いられる日は必ずあるにしても、常態化を回避する
睡眠時間を削られている方もあるかもしれません。7~8時間はぐっすりと眠りたいところですが、毎日5~6時間になると、堪える人が多くなります。
これが、たまにであればまだ凌げるでしょう。しかし、毎日となると徐々に疲弊していくのではないでしょうか。少なくとも、たまにはじっくり眠る日を作りたいものです。或いは昼寝のように中休みがあるだけでも少しはましでしょう。
誰かに負担が一極集中していないか確認する
介護・子育て・仕事・家事・災害・物価高など、幾つのもストレスが身近に存在する現代社会です。全てを独りで負担している方もあるでしょうか。使えそうな資源があるならすべて活用していただきたいところです。
家族の場合には、誰かに一極集中している場合があります。昨今「パートナー」という言い方が聞かれるようになりました。まさに、このストレス状況下においては現代社会を乗り切るパートナーとして捉えることになります。パートナーも自分も生き残る道を模索したいのです。
職場であれば、「休憩回し」という技があります。休憩をひたすら回し続けて困難を乗り切る方法です。全員で我慢比べをするのではなく、20分でも休憩を入れた方が能率的にも向上するのです。
ストレスは、待ってくれるとは限りません。災害は特に深夜の3時にでも起こり得ます。
なるべく、余裕を蓄えておきたいものです。
もちろん、備えばかりに走ると人生の楽しみを失う面もあり難しいのですが、時流を捉えて「温存の時」を見逃さないことも重要なのでしょう。
ペアで行うリラクセーションは家庭でも、職場でも活用できる
身内から肩を揉め!などと言われた経験を持つ方は多いのではないでしょうか。
親子でもよくありそうなことです。
そんな時、肩の揉み方を知っている人はいたのでしょうか。
だいたいは形だけの肩もみになっていたのではないでしょうか。
リラクセーション法を身に着けておくと、セルフケアに留まらず他者の援助に活用できます。
一人でリラクセーションを学んでいくと、いつか必ずといっていい程、肩甲骨の辺りに圧を加えて欲しいなどと感じるものです。
つまり一人では肩甲骨を弛められなくとも、誰かがそこを押してくれたらそれを手掛かりに弛めることが可能であるからです。
手順
例えば、当オフィスのリフレッシュセッションのような手順なら、20分弱のプログラムです。
これを交代で行った場合には、40分程度の所要時間になります。時々であれば可能な時間と言えるでしょうか。
概ね、腰から首、顔を弛める方法です。
ある刑事ドラマの同棲カップルのペアストレッチ
某国民的人気の刑事ドラマを観ていると、同棲カップルがペアストレッチを行っていました。
これは、共働きでお互い疲れていることを認識し合ってのことだったようです。
このストレッチの部分をリラクセーションに置き換えようというのがペアリラクセーションです。
これは夫婦や家庭に応用できるでしょう。
共働きが増えている時代に必要とされているのかもしれません。
職場でもできる
職場でも同様の事が可能です。
しかしこれには、ある程度まとまった時間を要しますので企画を練るところが味噌になるかもしれません。
職員研修の場でそのような取り組みも多々行われています。1時間の枠では内容によっては足りないかもしれません。シリーズにして行うのも手ですし、慣れたら短時間で済むものもあります。
パートナーを酷使してはいけない
これは倫理的な話になりますが、「あいつはいいのを覚えて来たから毎日やらせよう!」などと自分の肩を軽くするため、自分の都合だけを考えてパートナーを酷使させるようなことがあってはなりません。
これは正当な活用法とは言えません。
学校でも、家庭でも職場でもこの点には留意する必要があります。
また、酷使する意図などなくとも「私の方が疲れてる!」、「手を抜いてるでしょ!」などと不公平感を生み出す可能性があります。この辺りの事は導入にあたってよく工夫する必要があります。
ただし、リラクセーションの手技は、大きな力で押したり揉みほぐすわけではありませんから、その点は不公平感が生まれにくいと言えるでしょう。
ストレス対処は有限
コーピングということを突き詰めて考えて行くと、表層的な話に終始できないテーマであることに気づかされます。根本的には、、生き方という次元の話になってくるのではないでしょうか。ストレスが増えたから、ストレス対処すればいいだけであるという発想は、人間には当てはめられないのではないでしょうか。
コツは自分なりの方法としていくことか
ストレス解消法などの書籍や、番組は良く見かけるものです。
その中では、たくさんの対処法が紹介されていて、確かに納得のいきそうなものも掲載されています。
ストレッチや運動を勧めるもの、気晴らしの外出や、外食、趣味の時間など、日常生活で、ストレス解消法として使えるものがセレクトされているのでしょう。
臨床心理士は、ストレスケアの方法として、専門的に漸進的筋弛緩法などを学んではいますが、このような方法の
出番がないことや、専門的方法以上にリラックスできることも多いのではないでしょうか。
一方、書籍で紹介されている方法が、納得はいくけれど、なかなか馴染まないということも
あり得るのではないかという点に触れてみたいと思います。
そして、書籍に限らず、臨床心理士の専門的助言でも同様のことが起きるのではないでしょうか。
1日に3回、その書籍で紹介されているストレッチを行うことが望ましいとされているとき、はじめの2,3日は続いても、それ以上はおっくうになってしまうかもしれません。
また適度な運動がいいということで、急にテニスやゴルフなどを始めると、翌日は筋肉痛に悩まされているかもしれません。
本に書いてあること等体に良さそうだと、ついついのめり込んでいつの間にか修行僧のように真剣すぎるほどに取り組んでしまう事もあるかと思います。

※これはいきすぎた例です。
散歩は体に良いとされますが、果たして毎日15㎞も歩いたり、夏場の暑い中を歩き続けるのはいかがなものでしょう。冗談のような話ですが、ついつい知識が優先されてしまう事があります。
色々な情報は、役に立つものでありますが、その人にとってどんな方法が馴染むものかは、少し掘り下げた話が有益なものになるかもしれません。
下記も一例として参考になるでしょう。
カウンセリングで話し合うなら「情報」、「知識」ではない水準になることもある
カウンセリングでストレス対処を話し合うこともあります。
これは、色々な水準でなされることです。
気分転換に良さそうな方法を対話で探していくという馴染みの在りそうなことから、つまるところこうした対話を繰り返していくことは、どのような人生を構築していくかという話と同義になるものです。
一般的に言われているストレスコーピングはたくさんありますし、いわば「情報」なのですが、カウンセリングでは情報を扱うことがメインではないのです。
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まとめ
もしストレスに良いとされる、何かの苦い飲み物を毎朝飲むことにしたら、毎朝寝起きが苦痛になってしまうという可能性もないでしょうか。人によっては、多少、違う飲み物でも、爽快においしく飲める飲み物方がストレス解消につながるとも言えないでしょうか。
これは科学的には否定される可能性が十分にある類の話です。
何とか、科学的な発想の中に「飲み心地」のような視点も入らないものでしょうか。つまり、幾ら体にいいものとはいえど、飲み心地も重要だと思うわけです。医師と相談する際は、こういう視点からもぜひ質問してみたいものです。
何がストレスなのかに気づくことはコーピングと一体的な話になると考えることもできるでしょう。
つまりは苦すぎて嫌になるというように、ストレスに気づくということがコーピングと一体的なものであると考えてよいかと思います。


