気持ちの整理がつかない

ブログ著者:臨床心理士 松田卓也

思い 気持ち・性格・自分自身

人は生きる中で、多くの出来事に直面します。楽しいこともあれば、耐え難い悲しみに遭遇することもまた起きうることです。

その際に生じる我々の動揺や混乱は大きく、時に、日常生活上の事を中断せざるをえないような場合さえあります。

しかし、やがてその大きなショックの後に、また日常へと戻っていくこともよくあることです。

整理に時間をかけたい気持ちは認められない?

落ち着かない

しかしながら、そのプロセスは個人個人によって異なるものでもあります。ある人には一時的な混乱を呼ぶ種の事柄であっても、ある人にとっては、存在そのものを揺さぶられる出来事になる可能性があります。

そのため、その事柄に関する気持ちの整理も人によって必要な時間は異なるのではないでしょうか。2週間程度の時間を要する人から、数年かけて徐々にという人も当然あるでしょう。

誰かの死を考えた時にでも、我々は、葬儀を行い、その後にも49日や、1周忌や3回忌などを長い時間をかけて行います。(昨今は段々と省略されることが多いようです。)7年、13年と法事は続きます。かつての社会には、自然と、気持ちを整理する時間が確保されていたのかもしれません。

途切れずに動き続ける社会

止まらない社会

このような中で、生まれやすい葛藤は周囲との時間差や、絶えず社会が動き続けているという現実があるからではないでしょうか。

先に整理のついた周囲の人たちは、いつまでもそのことに時間を使っても仕方ないとさえ言うことがあると思います。あたかも、それが悪い事であるかのように聞こえもします。

  • いつまでもくよくよしていては故人が悲しむよ
  • 早く自分の生活を元に戻すことが先決ですよ
  • 終わってしまったことはどうしようもないのですよ
  • こんな時にでも、働いていかなければどうなるのですか
  • 気晴らしでもしてはどうか

このような言葉が、幾つも飛び交うこともあると思います。

時間を必要とする人には、非常に心地の悪い時間となることでしょう。

効率性や経済性が優先されればされるほど、この傾向は強くなるのではないでしょうか。

関連ページ:葬儀の簡略化に気づく機会はそれほど多くない

なかったことにされた思い達

報われない思い

我々の暮らしの中では、喜ばしいことも起きれば、悲しい事や、苦しいこと、また怒りを覚えることも起きてきます。カウンセリングの中でこれらの出来事が語られることもあります。

我々の人間関係の中では、喜ばしい事や、楽しいことが優先されがちになるであろうことに、多くの人が頷くのではないでしょうか。もちろん、そればかりではないことを多くの人が知っているわけですが、しかし、そうは言っても怒りや、苦しみは敬遠されがちになるようであります。

それぞれ別々の人生を生きているわけですから、その局面において別々な感情を抱いていても自然な事です。

身近なところで就職を例にとると、就職が決まって喜ぶことは、ごく自然なことです。家族や仲間と祝賀会をしているという人もあるでしょう。多くの場合、その祝賀会は華やかです。参加者も、冗談など飛ばし、浮かれ気味な雰囲気さえ漂います。

このような場を持つことで十分に喜ぶということを終えられるのではないでしょうか。

一方、悔やむ必要がある時間を過ごしている人には、人によってまちまちな言葉がかけられたりします。「もっと努力を」と言う人もあれば、「いつまで悔やんでも仕方ない」という人もいることでしょう。

気持ちを切り替えるように言う人が多いように感じます。言っている人からすれば、それは遠回しな励ましの言葉なのだと思います。言われている本人も、悪気がないことは知っているものです。

関連ページ:【カウンセラーの観点から】モンテ・クリスト伯が確認を付けたかった、ただその一念とは

現代社会では、悔やむことが出来る時間は奪われやすくもある

閉店時間

しかし、十分に悔やむことが出来る機会というのは、少ないように思えます。前者が十分に喜んだように、十分に悔やむことは、同じくらい大事なことなのではないでしょうか。十分に悔やむということは、どこか奪われやすい体験のような気がしてきます。

合理的な方へ、合理的な方へと物事を進めていくべきであるかのような風潮が漂っているためでしょうか。つまり、悔やむ時間はもったいない時間と見なされてしまう可能性があります。

また、悲しみや喜びの他にも、人は様々な感情を体験します。

  • 喜び
  • 悲しみ
  • 怒り
  • 悔しさ
  • 恐怖
  • 不安

これらは、スポットがあてられることもあれば、なかなかそうもいなかいこともあります。ですが、どれも我々が生きる中では自然と体験する感情でもあります。

ちょうど、緑茶の味わいのようでもあります。渋い、苦い、甘いと、決して甘い味わいばかりではありませんがどうしてか長い事親しんでいます。

とにかく直視すればいいものではない

よくありがちなことに、そのことと真っ向面から直面し続けるようなやり方です。これは時が熟したときにはあるタイミングで意味を持ちますが、決し無理に直面することはお勧めしておりません。直視というのは傷口をえぐるような性質を持っているのです。

とにかく前向きには辛い

無理やり前向きになろうとする

近い発想ですが、とにかく気持ちを前向きにもっていこうとするのも難しい事があります。

あとからドーンと疲れを感じるかもしれません。

気をそらすは、あったら使いたい

コーヒーを淹れる

逆に、気をそらすことは、納得はいかないかもしれませんが、もしあったら使って良いと思っています。一日中働き続けられる人がいないように、一日中直視し続けるのは大変な事です。

お風呂に入っている時間でも、誰かと話している時間でも、一時でも気をそらせるのは必要な事ではないでしょうか。一日で直視するのではなく1週間かけて直視するという手もあってよさそうです。

それは、コーヒーを淹れて飲むくらいの時間であっても貴重な事です。

カウンセリングは、自由に使える時間

このように考えてゆくと、カウンセリングの場や時間は、現代社会において意味を帯びてくると思います。

つまり、日常の中では行いにくいことが、気兼ねなく行える場所であるからです。

時間・料金は決まっていますが、カウンセリングの中では、整理のつかない気持ちについて、十分に労力を割いても自由な時間なのです。

その人に必要な期間、いつまでもそのことに時間を使う事が自由な場所です。正当なことを行っているという意味では、臨床心理士という大学院修士課程をベースとする専門家が担当者であり、1万円の費用を要するという事実の重要性を感じて頂けるでしょうか。

その人にとって、それほどに重要な意味を持っている事柄であると考えています。。

又、言い換えればカウンセリングは、かつての習慣や文化が自然と備えていたことを、形や形式を変え個別に行っていることとも捉えることができそうです。

まとめ

何かの出来事に対する受け止め方は人それぞれです。

また、その気持ちの収め方もそれぞれになります。

葬式で泣いた人、泣きたくても泣けなかった人、どちらもそれぞれなのです。