最終更新日 2021年11月10日
カウンセラーは、コンサルテーションを行うことがあります。
その対象者は、教師や看護師、医師だったり、様々な専門職です。
また、コンサルテーションとは言わずとも、誰々への接し方のような相談も受けるわけです。
この時、よく起きがちな誤解は、カウンセラーが、その他の人にカウンセラーのように振る舞うことを押し付けることです。
とにかく共感が大事ですよと教師に言ったカウンセラー
極端な例を挙げるとすれば、教師へのコンサルテーション場面で生徒への「共感」を押し勧めることなどです。
堂々と遅刻して来る生徒への接し方がテーマとなったとき、教師はどう共感したらよいでしょう。
「こんな穏やかな日は、勉強なんかしたくないね!」などと言うべきなのでしょうか。
個人的には、こんな先生に教わりたいものですが、現実はそんなはずありません。
たいていは怒られるものです。
怒る人・説教する人は必要な存在
もう少し言えば、むしろ生徒を怒ったり・説教する先生は必須ではないでしょうか。共感が大事と言う時、カウンセラーは無意識にそういう先生の事を否定している節があります。
いつも穏やかな先生もいれば、いつも怖い顔をした先生もいる方が自然ではないかと思いますが、いかがでしょう。教員は一人一人キャラクターを持っています。
カウンセリングの場面で会っているのではない
カウンセリングは、非常に特殊な枠組みの中で行われる、非日常性の高い空間です。
この中で起きるような事を日常場面に持ち出していいものでしょうか。
カウンセリングにおいて遅刻は非常に尊重されるべき事柄です。
最後の3分まで、予約した人のためだけの時間とする枠組みなのです。(現場によって15分でキャンセルと見なすなどの取り決めはあるにしても)
つまりカウンセリングにおいては堂々と遅刻して良いのです。
問題は、これを教育場面に適用していいのかどうかですが、学校では通常遅刻の理由の説明を求められるのではないでしょうか。
もしコンサルテーションを行うなら、別な視点になる
このような場合は、教員が考えをまとめたり、新たな視点を見出すような手伝いという事になるでしょう。
つまりは教員の取り組みを尊重するということです。
先にも述べたように、もっとカウンセラーみたいに振る舞うことを強要することは、それまでの教員の取り組みを否定したことになりませんか。
皮肉めいた言い方をすれば、カウンセラーがもっとカウンセラーらしく振る舞う必要があるということになります。