ブログ著者:臨床心理士 松田卓也

最終更新日:2025年10月19日

親族と顔を合わせることが気まずくなった時

親族会

母や親族と顔を合わせることが苦痛と感じる状況とは、どのような時なのでしょう。 家族は和気あいあいというようなイメージを持たれがちだと思いますが、逆に険悪な雰囲気であることもよくある話です。

親族と顔を合わせる冠婚葬祭などが気まずい

時に母親や親族が自分にとって脅威の存在となってしまうこともあるのではないでしょうか。例えば、冠婚葬祭では、普段顔を合わせない親類と会うことになります。

「長男なのだから・・・」とか、「結婚はまだなの?」、「そろそろ課長くらいになった?」などという言葉が行きかいそうな場面です。

本気で説教をする親類も中にはあることでしょう。 当人は失業中かもしれませんし、結婚の当てもないかもしれません。親類の何気ない一言は時に大きな苦痛になりそうであります。

親類から金の話をされる

さて、現代社会において、経済的自立は様々な困難があります。例えば奨学金の返済一つでも、月に1万円以上の出費になります。

一人暮らしをする若手の社会人にとっては、この1万円の捻出は大変なことです。実際に返せない人も多く、ようやく返済猶予に関する制度が見直されるような状況になってきました。

また、正規雇用であれば、各種保険料をあまり気に留めることはないかもしれませんが、時給で働く人にとっては、その金額の大きさに圧倒されることもあると思います。

住民税に国民保険から国民年金、その他雇用保険など、合わせて、3万円以上もひかれるのですから、大変なことです。 このような中で、いつまでも経済的自立できないことを責められた時には、嫌な気持ちを体験すると思います。不甲斐ない気持ちを抱く人もいるでしょう。

昔は、奨学金を踏み倒した・・・などという話がまことしやかにささやかれていたように思うのですが、現代社会においてそのようなことはなく、返済が滞ると裁判になるという話の方をよく耳にします。かつてよりも返済が難しいのではないでしょうか。

それを当たり前のように言われても・・・と怒りを感じる世代の方もあるでしょう。

仕事を否定される

これも経済的な事と関連する部分がありますが、仕事自体を否定される場合もあると思います。

親類目線からすると、もっと稼ぎの良い仕事があるのではないか?今からでも転職した方がましなのではないか?

もっと安定した働き方をしないと結婚もできない・・・などと嘆かれた経験を持つ人は日本中に少なくないと思います。

しかし、本人にとって、その仕事を得るまでに費やした時間や苦労はどうやっても報われそうにありません。

こうして自分の仕事にプライドを持てなくなってしまった人もあるのではないでしょうか。実際に転職した人もいると想像しています。

  • 「父さん、僕のやっていることをもっと認めてよ・・・社会のためになりたいんだ!」<トム・・・お金をもらえないのは仕事とは呼べないんだ・・・。>
  • 「父さん、彼とってもいい人なのよ。それにオシャレで物知りなの!」<ほう、ところで彼は何の仕事をしてるんだ?>「よくわからないわ・・・金融関係とか言ってたわ」<アニー、今度父さんに会わせなさい>

関連ページ:いつからか、母親はもう私の気持ちをわかってくれない

無視するわけにもいかない辛さ

社会人になってもお金を両親から借りている人は、かなりの数いると思います。結婚してからもそういうことはあると思います。

しかし、それはあまり表には出てこない事実でもあり、お金をもらいながら愚痴を言われる人も多いのではないでしょうか。

お金は必要だが愚痴は言われたくない気持ちは非常に複雑だと思います。それならば自分で稼げればいいのですが、それも単純なことではない時代になりました。

イメージに押しつぶされる

時代や仕事の事情は日々変化しても、一人前とか、仕事とか結婚に関するイメージはあまり変化を感じません。 イメージに押しつぶされる若者の姿が思い浮かばれます。

成人年齢が変わって、「もう二十歳にもなって!」も、「もう十八なんだから!」になったのでしょうか。

この辺りが、日本における家族関係に関するカウンセリングテーマの一つと言えるかもしれません。

いずれにしても、これらのイメージは様々な時代のものや内容が入り乱れ都合よくつかわれているようなところもあります。

コロナ禍では、中小企業が継続することに困難な状況が続きました。実際、廃業も続きました。これには、労いを向けられたという方もあれば、コロナが5類になってからの経営不振は容赦なく責められたという方もあると思います。

最中も大変な事ですが、その後もかなり大変なのです。このように社会ではイメージだけでものを言われてしまうところがあるのです。

自分自身がどう生きるかというところがやはり大事なのでしょう。

まとめ

帰省が重苦しい・・・と感じる方も少なくはないと思います。

これは、何かが「負担」であるという方面からの理解も一つには可能でしょう。

もう一方では、「自分の世界が確立されているから」規制が重苦しくなっているという見方もできるかと思います。

これは非常に前向きなことではないでしょうか。

つまり、しぶしぶ帰るくらいがちょうどいいところ・・・と言える人もあるのでしょう。