いつからか、母親はもう私の気持ちをわかってくれない

むしゃくしゃする

最終更新日 2025年4月15日

母と暮らしてきた家を離れたり、就職するとそれまでになかった経験も多くするものです。

例えば、大学で心理学を学んだ学生はそれまで考えもしなかった事柄や新しい発想、実験などに触れます。

そこに感動を覚える人もあれば、逆に失望する人もあります。また、深く考え込んだり、誰かと議論したくなることもあるでしょう。

そんな時、ついつい実家の母親に電話のついでに大学で学んでいる心理学の話をはじめる方もあるのではないでしょうか。

実家で夢を語っても、「あなた何言ってんの?」などとわかってくれず、母親からは相手にされない

親子喧嘩

しかし、多くの場合母親から満足な返答は返ってこないものではないでしょうか。

ロザリンダ
ロザリンダ
メラニー・クラインとアンナ・フロイトの理論を対比して考えると・・・どう違うのかしら。それに、エリクソンはエリックの息子なの?・・・バカボンのパパみたいな事?あたしね、大学院まで行って心理学をもっと自分で研究してみたいの

などと言っても・・・むしろ、

ロザリンダの母親
ロザリンダの母親
何をおかしなことばかり考えているのよ。試験勉強はしたの?もう就活だってはじめなきゃダメなんじゃないの!?

などというように別な方向に話は進みそうです。

電話した本人としては、全く話が通じなかったと感じることでしょう。

なぜ話が通じないのか

これは、ある種致し方ないことであると思います。

というよりは、自立が促進した結果と見ることはできないでしょうか。

もう一つ別なエピソードを紹介します。これは、親子に限ったことではないと感じるエピソードでソードです。やはり、背景には当人の成長、成熟、自立があるということのように尚更思えてきます。

短く書きますが、ある青年は大学で様々なことを学んだと言います。哲学や宗教などを追及していました。そして、ある時、別な大学に通う友人と実家へ向かう電車の中で偶然遭遇し話をしたと言う事でした。その際、<色即是空の意味を理解したよ!>と誇らしげにその青年は旧知の友人に言いました。

帰ってきた返事は、「おめえ、そんなことばっかり考えてんの?就職あるの?」でした。友人は経済学部で学んでいたのです。

その友人とはやがて疎遠になりました。極めつけには、この話を母親にしてもやはりチンプンカンプンでした。

新たな出会いがあるかもしれない

自分の世界が深まっていくと、母親とは違う、新たな出会いが自然とはじまるように思います。

母親とは話が通じなくなるばかりで、どこか寂しい感じすらあるかと思いますが、それが成長していくということなのかもしれません。

これは母親との関係ばかりではなく、父親でも、友人でも、兄弟でも、恋人とでもありそうな話です。

不思議と、そろそろ私があなたと出会ってもいいかしら?とでも言わんばかりに誰かが現れることもあるものです。本当に不思議なものです。

それは例えば遠くの大学から新しく赴任してきた先生だったりします。

孤独な悟り

悟りを開いた娘

自分の世界が深まれば深まるほどに、どこか孤独が増すという経験をお持ちの方は少なくないのではないでしょうか。

これを残念なことと捉えるか、別な捉え方をするか難しい所ではあると思います。

仏陀の話など見て、家族を棄てた人と捉える方もいます。

ロザリンダ
ロザリンダ
成長とはつまり、卒業式のような感慨深いものかもしれないわね・・・成長の喜びと、他の人と違う自分の道を歩んで益々孤独になっていく寂しさが一緒に訪れるわ!
何かの小説で読んだことがあるのですが、困難に直面する恋人を支える話でした。そしてその困難がいよいよというところで、その困難を独りで迎えることになるのです。そうしたラストが描かれていました。一緒に向かえるのではなかったのです。

関連ページ:人は誰も知らない非日常の冒険を経て成長することがある

仲が悪くなったという事だけではない

母親やその他身近な人とある時から衝突が増えたり、喧嘩やすれ違いばかりになるなどということもあるでしょう。

これはそのまま見た目を捉えると、仲が悪くなってしまった、関係が悪化したと感じることになるでしょう。

決して納得いかない方もたくさんあると思いますが、しかし、先に述べてきたようなことを踏まえると、それは一人歩きの時が来たという風にも見えなくないものです。

人間関係や夫婦関係、親子関係においても、見た目そのままの関係が物事の本質を表していないことが往々にあるもののようなのです。このような視点はカウンセリングでも大事にしています。

まとめ

今の最前線という言い方があります。

人間をとっかえひっかえというのは、どこか不遜な感じが漂いますが、それは別な話として、仕事でもなんでも付き合う人が日々変わっていくと言う事があるものです。

これはある音楽家を見ていても思ったことです。

かつての相棒とは解散して、別なグループの団体と活動を共にしているというのです。しかしそれがいい音楽を奏でるのですから間違いや迷走ではないのでしょう。

出会うべくタイミングで出会った人たちと言う事なのだと思います。