どっちが本当?視覚的錯覚から感じた現実の別側面

認識が違う

最終更新日 2025年3月25日

心理学のテキストを開いてみると、多くの場合錯視に関する内容が紹介されています。例えば、同じ長さの線であっても、一方が長く見えたり、短く見えるという現象が起きます。

このような現象を錯視といいます。日常用語でも錯覚という言葉はよく使われます。

錯視については多くの出版もなされています。また美術や建築の関係から錯視を考える人も少なくありません。

目で見えることが必ずしも事実ではないわけです。

錯視を通して感じたことがカウンセリングにも言える

カウンセリングを行う場合にも非常に意味深な事柄に思えて来ます。錯視を一つの手がかりに、認識の誤解や思い込みなどに関して示唆を得られる面があるのではないかと感じます。

例えば、人間の認識は時に、「世間が良いと言っているものが良いのだ」、というように固定化することもあります。そして、世間の言わんとしていることを聞いていると確かにそのように思えてくることもあるでしょう。

「そうでなければいけない」、「そうあるべきである」とさえ考えを固めることもあります。時に、人はそのような世間が構築した物語の中で自分の人生を進めていることもあるのではないかと感じます。

世間的に良いとされていることから外れた場合、良いとされる方向に修正を促されたり、非難が起きることも珍しくはありません。そして、本当にその非難は妥当だろうかという疑問が起きないこともまた珍しくないのです。このような葛藤を多くの人が経験していると思います。

錯視では、見た目のまま考えるとどうしても事実はわかりませんでした。

長いように見えるように作られた線は実際より長く見えてしまうし、短く見えるように作られた線は短く見えてしまうのです。定規などで測定しなければその差は理解されないのです。

もし、本当に見た目のままなのだろうかという疑問を持った人はその差を明らかにすることができるのです。

錯視の例

では実際の錯視はどのようなものか、フリー素材があるのでご覧ください。

大学における心理学の講義でも良く見られる錯視図形です。ルビンの盃と呼ばれています。

ルビンの盃

ルビンの盃というくらいですから、何かの陶器のようなものが見えるでしょうか。花瓶みたいな形です。

黒い部分だけを見ればそれが浮かび上がるでしょう。

しかし、ひとたび白い部分に浮かび上がる「顔」を見てしまうと、もう顔の方にしか見えないので不思議です。

隣の芝生は青く見える

この諺も意味深に思えてきます。

古くからあるこの言い方は、本質をついているようであります。

妬みのようなものが青々と茂った芝生を見せてしまうのでしょうか。

すると、そのときの心理状態に左右されているという風にも捉えることができます。

同じような理屈で考えれば、恐怖感に駆られている時には、柳が幽霊に見えるのでしょう。江戸時代の俳人、横井也有(1702-83年)がそれらしい句を詠んでいます。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と記憶していましたが、幽霊ではなく化け物と詠んだようです。その後に誰かが言い換えたのでしょうか。国立国会図書館のレファレンスにもありました。

この景色が美しいのはなぜか

かなりキザな事を書きますが、夕日や夜景、壮大な景色に心を打たれるのはなぜでしょう。

それは君を恋する心を抱いたためだ、というようなことをあのドイツの文豪ゲーテが言っています。

出典を見出すことはできませんでした。AIに聞いたら教えてくれるかもしれません。

そして、AIはこの感覚を理解するのかどうかも合わせて尋ねてみたいところです。

人間の営みを理解するには定規では不十分

人の営みを理解する際には、定規で測定するというような手段を加えたとしても、物足りないでしょう。客観的に測定すれば、事実が明らかになるという理屈では、人間の営みの一面的な理解にしか及ばないと感じます。

カウンセリングの場合は、客観的なもう一つの事実を見つけるというよりは、世間が言うものとは異なる、自分にとっての事実を見つけるという方が適切に思えます。

カウンセリングは一つの科学的なことも含め、一方的に価値観やある視点をを押し付けることではなく、自由な語りを展開する時間でありますから、カウンセラーには各方面に開かれた柔軟な認識を持つ態度が必要となってくるのでしょう。

少し近い発想と取って良いかと思いますが、カウンセリングにおいてはリフレーミングというものがあります。

これは同じ物事であっても味方によってまるで別な意味を帯びてくると言う事です。

現実が存在するのか怪しくなってくることもある

ここまで言ってしまうと、抵抗感を覚える方もあるでしょう。

怖いと感じる方もあると思います。

確かにここに生きているわけですので、そこを度外視するつもりはありません。

ここで触れておきたいことあ、あくまで認識というところにしたいと思います。

ニュース、歴史、人間関係などにおいて我々がそうだ、と思っている認識は本当にそうなのかという点です。

これは、場合に予ては人気アニメの「名探偵コナン」に怒られるでしょう。真実はいつも一つと主張しているのですから。

まとめ

少なくとも、カウンセリングを行う際には「思い込み」を意識せねばなりません。

仮にカウンセラーの思い込みが強く出たらカウンセラーは錯視のように何かを取り違えて認識してしまう事になります。

そこには主観が強調され、クライエントの世界を共有・尊重することからかけ離れてしまうでしょう。

思い込みをなくすことは困難であっても、それが常に存在しているのだと認識することはできるものです。

そこには謙虚さが求められるのだと思っています。毎日基礎練習をしているスポーツマンや何かの道を究めようとする人、音楽家などにもそういう態度があり、見習い尊敬しているわけです。