リフレーミングとは

認識

最終更新日 2025年5月24日

この言葉は心理学を勉強する人達の間で最近よく聞かれるようになっています。一般的にはあまり用いられることもない表現かと思いますが、日本語で表現すると「再体制」というようなまた微妙な感じになります。

人の認識は、時に固定されていることがあります。それもそのはずで、毎回物事の見方を変えていたら、同じことを何度も考える必要が生じます。

こうしたことを背景にか、人には物事をあれはああいうものというようにまとめて処理する習慣が存在しそうです。ところが、物事は別な観点から眺めてみると案外別な意味を含んでいるように見えたり、問題だと思っていたことが問題でなくなってしまうことさえあるようです。

一つの物事にも、別な見方ができるということがあります。

言い換えれば、目に見えている状態や、一般的な理解が、その物事の本質を表していない可能性もあるということになります。

時にカウンセリングでも劇的にこのようなことが生じるものです。

リフレーミングとは

例えば、仕事が忙しくて困るという話があったとします。忙しいことは体力的にも時間にしても多くの事を費やすようで確かに困ったことです。

中には忙しさのあまり、体調を崩してしまったり、ドタバタの中で怪我をしてしまう人もいることでしょう。

また、自分の時間が取れなくなったり、家族と過ごす時間が減ってしまったりなどということも起きてくるでしょう。

例えば、商売人にとって忙しいのは良い事

ですが、商売人にとって、忙しいということは繁盛しているとも考えられますので、仕事で結果を出したがっている人にとって良いことでもあります。こうした忙しさの別な側面に注目したとき、この忙しさは繁盛の前兆であるとして、大変だけれど充実感を得られることに繋がる可能性を感じさせてくれることとも見えます。

そしてさらに、ある人にとってまた別な意味があるでしょう。忙しくて困った、という語りの中に、別な道を行きたいという可能性を感じるからです。同じ忙しさという事柄であっても多様にその先の物語は存在するのです。

忙しくて家族との時間が減ったしまったと感じていた方は、それは家族との時間ということに意味を感じていたという側面が、忙しさをきっかけとして浮かび上がってくるかもしれません。このとき忙しさは、自分自身がどう在りたいかということを示すための存在として捉えることもできるわけです。

雨など降らなければ良かった

秋祭りの際に、雨が降って出かけることができなかったという経験をお持ちの方もいるでしょう。雨さえ降らなければ、お祭りに出掛けられたのに非常にがっかりしたことと思います。窓ガラスにため息の曇りなどできていたかもしれません。

楽しいことが中止になってしまったので、本当に雨など降らなければ良かったと思います。

中国の故事に塞翁が馬という話がありますが、あの話も、馬が出て行ってしまうなどがっかりすることが連続して起こる物語です。

この秋祭りの話も別な視点からみるともしかしたら塞翁が馬のようなことが言えるかもしれません。

秋祭りに出かけていたら失っていたことがあったかもしれませんし、秋祭りに行かず家で過ごしたため得たことがあったかもしれないわです。

疎遠になっていた遠く暮らす親戚からの連絡が入ったなどが挙げられます。携帯電話がない時代であれば、秋祭りに出かけてしまっていたら親戚からの電話には出られませんでした。雨が降ったから、電話に出られたのです。このことをきっかけに、また付き合いが再開する可能性もあります。

こじつけ的にはしたくありませんが、どうしても文章にするとそういう感じが強くなります。このような共時的な体験は簡単には起きないのでしょう。様々な要因が一致して起きるからこそ、それを体験した人の情動を激しく動かすのではないでしょうか。

人によって考え方は様々だと思いますが、こうした、物事に対する別な視点・見方を探していくこともリフレーミングの中に含まれるのではないかと感じています。

幾つかのリフレーミング

せっかくですので幾つかここにリフレーミングを列挙してみたいと思います。

例えば季節はどうでしょう。

物悲しいばかりの冬は春を生み出す力を蓄えていると見るのはどうか

雪の中にたたずむ柿

春や夏は強い生命感や躍動感を感じます。そしてそれは、見た目の季節の状態からもそのように感じられ、分かり易い季節でもあるのではないでしょうか。

冬のその姿からは絶望を感じるが、実は春を生み出す時期でもある

これが、秋から冬へ移っていくと、植物は色を変え、動物も冬眠に入ったりします。生命感や躍動感ということからはだいぶかけ離れた季節のように思います。むしろ、このままずっと長い冬が続くだけなのではないかとさえ感じられるほど、圧倒的な季節でもあります。

しかし、誰しもが、冬の後には春が再び訪れることを知っており、動物も冬眠してそれを待っているわけです。そのため、冬は確かに寒くて、あまり受け入れがたい季節と捉えがちになるかもしれませんが、冬には冬の意味があることを知っていて、何か否定的な季節とは捉えていないことになります。

もし、季節が巡るということを知らない人が、冬を経験したら、絶望感すら感じるかもしれません。おそらく、うつ状態にあるような時はそんな閉塞感に包まれているのではないでしょうか。

カウンセリングと季節の移り替わる発想

生える

イメージ写真:実はこれも柿の木です。冬は葉を落として温存していますが、季節が進めば葉が茂り、秋には実を付けます。

比喩ということは時に勘違いを生んでしまう可能性があることを前提として書いてみたいと思いますが、カウンセリングにおける物事の見方に関しても、季節の捉え方と近いものがあると思っています。

社会一般に何か消極的に捉えられている物事がありますが、それは冬のように何かの意味があるのではないかという態度でそのことを考えてみる姿勢がカウンセリングでもあります。

例えば、悩んでいる人を見ると、いつまでもはっきりしないとか、悩んでいる時間がもったいない、という考えを持つ人も少なくはないでしょう。

しかし、何か悩むこと自体に意味があるのではないか、と考えると、悩むということに意味が生まれ、実はかなり主体的なことをしている最中なのではないかと見えてくることもあるのではないでしょうか。

悩むから自分の進みたい方向性をしっかり打ち出すことに繋がるとも言えますし、かなり繊細な感性をもっているとも言えます。ここまで考えると、消極的どころではなく、大事な作業を主体的にされている最中と見る見方の方がしっくりくるようになります。

生徒が言う事を聞かなくなった・・・のは成長の証

自己主張

さて、学校などではよく皆椅子に座って授業を聞いていますが、ある時から先生の言うとおりになんてしないことが起き始めます。

これは、後ろ向きにとれば信頼関係が崩れたと理解してしまう事になります。

ですが、よくよく考えてみれば「自分の意見が育ってきた証」と受け取れるようでもあります。進路選択の場面など、それが顕著に現れないでしょうか。

生徒
生徒
推薦入試なんて絶対受けませんから!
教員
教員
なんで先生の言う事を聞いてくれないんだい!受けといた方が絶対得だってば。
生徒
生徒
先生は損得で進路を考えるのですか!
生徒は反抗的になってしまったと捉えると、何やらネガティブなストーリーが生成されますが(ましてやその原因など突き詰め始めたらドツボにはまりそうです)、成長の証と捉えればまるで意味の違う意味あるストーリになります。

コンサート4500回達成できたのは、借金のためだ

原動力

ある歌手は、4500回のコンサートを開催しました。これは尋常な数ではなく、日本で最も多い回数を記録しています。

何が真実かはわかりませんが、遡ればその歌手は若い頃に28憶の借金をしていました。

28憶も借金するなんて、まるで希望の持てない話ですが、どうやらだからこそ4500回を達成できた模様なのです。

借金がなかった方が良かったのか・・・どうかこれはわかりません。別な人生もあったとは思いますが、ある角度から見た場合にはとてつもなく能動的な物語に見えてきます。

そして、借金の迷惑をこうむった方もいれば、多くの人が希望をもらったと言えないでしょうか。

見通しがつくことで、人はやり過ごせることがある

もちろん、どのような意味があるかについては、一人一人のストーリによって異なるものになりますが、消極的に見えていたことが実は主体的、能動的活動であるという可能性すら持っていることに、見方という物は非常に多様なのだと感じさせられます。

冬の後に必ず春が訪れることを知っている人が絶望しないように、「今の悩みは何かの最中であり過程なのだ」という見通しが持てた時に人は閉塞的状況から抜けられることがあるやもしれません。

この発想は、カウンセリングにおいても色々な方面で応用が可能ではないでしょうか。

まとめ

カウンセリングではこのような視点も取り入れています。

人の認識は、もしかするとどこかのタイミングや周囲の語りによって構築されてしまったものであるかもしれません。

このような視点を交えながら対話を進めることで、まるで今までとは違った見方が浮上することさえあります。