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心理臨床オフィスまつだ

自分に自信がない

がっくり テーマガイド

最終更新日 2024年4月9日

人は時に、それまで良いと思っていた考えや、方法が、いつも通りの結果を出せない経験をすることがあると思います。

このような時、自信を失いやすいのではないでしょうか。

元々の考えや方法とはつまり、そこにある種の自信を持っていたと考えられますから、それが崩壊したときの喪失感は大きな衝撃となり得そうです。

自分に自信がないことの背景は

他の人の振る舞いを見ていて、自分にはできそうにないとか、自分は劣っていると感じることがあるものですが、それは本来の能力とは別な話であることも少なくないことでしょう。

つまり、自分に自信がないために、他者の方が優れていると感じる感覚です。

これは、一概に何が良いなどと言えることではありません。能力が高い事が良いとも決して言い切れず、また優れているから自分に自信が持てるということでもないでしょう。

つまりは、自分の中で自分自身に納得の行っている状態が自信のある状態と言えそうでしょうか。

また、自信がないのではなく、自信を奪われているという表現が当てはまることもあると思います。

色々な角度から触れてみたいと思いますが、例えば勉学に関することは多くの人が感じるところではないでしょうか。

その他、活動的ではない自分、引っ込み思案な自分など、自分自身の在り方に悩む方も多い事でしょう。

自信を失くした人

スポーツ選手が敗北を経験するとき、会社員が失敗をしたとき、別な人に圧倒的な力を見せつけられたとき、病気をしたあとなど、自信を失うきっかけは、生活上のあちこちにありそうです。

もちろん、自信はいつしか戻ってくることを知っていて、しかし、その間が非常に苦しい時間でもあります。また、時には自信が戻りにくくなっている時もあると思います。スランプという表現もあてはまるでしょう。

自信を失ったときの、落ち込みや衝撃は、人によっては本当に苦しい体験になっていると思います。その苦しさとは何かの意味があるものなのでしょうか。

関連記事:スランプ

他の人と違う、何か指摘されたとき

自分のやり方や在り方が他の人と違うと感じた時や、またそれを指摘されたときなどは自信を失うきっかけとなり得るでしょう。

他人から言われた場合はより強烈かもしれません。

世間には勝手な意見ばかりをぶつけけ来る人が少なからずいるものです。

その人の現在の在り方には意味があってのことでも、目に映ることでしか判断せず否定しているのでしょう。

例えば、以前に運転で怖い思いをした人が、スピードを抑えて運転していたら納得の行く話です。

また、そのようにしている知らない人を見かけたとしても、何らかの事情でスピードを控えめにしているのだと察するものです。

しかし、「ゆっくり過ぎない?」などと言いだす人も必ずいるものです。

安全運転をしていれば大丈夫と思っていた運転への自信を揺さぶられることになってしまいます。

法定速度を遵守していただけなのに、ではどうしたらいいと言うのでしょう?

学歴や勉学に関することに自信がない

キャンパスインターネットなど見ていると、未だにどこの大学出身とか、偏差値、Fランクなどという言葉が多見されます。

世間では大学なんて関係ないという人もあれば、その裏でまず偏差値重視の体質もやはり感じずにはいられないことがあります。

もし、有名大学を出た人しか自信を得られないとすると、日本において自信を得られる確率は10%~20%ぐらいなどという話になっていくでしょうか。

少し、意地悪なことを言えば「では大学に進学しなかった人は、劣っているからなのでしょうか。そういう人を下に見ているのですか」などという意見も出るでしょう。

決してそんなことはありませんが、このセリフに妙な葛藤を覚える方もあるでしょう。

因みに現実的には、東大を卒業しても、主席でも、劣等感に悩んでいる人はいると思います。

引っ込み思案な自分

仕事間違った

よく、会議の場面で発言ができないと自信を失うのではないかと感じることがあります。

他の人が活発にやり取りしている最中、緊張して言葉にできないなどしている方は多いはずですが、そういう自分を許せないという事なのかもしれません。

だとすれば、相当な向上心や責任感の持ち主なのだと思います。

本当に会議で活発に発言することが良いか悪いかは検討しがいのあることです。発言が多ければ良いものではないでしょう。

人生には慎重さがとても大事でありますし、飛行機など生涯乗らない人も大勢いるものです。

仕事がうまく行っていない

仕事がはかどらない、新しい職場に馴染めないなどは多くの人が経験するところでしょう。

一見すると停滞や、失敗のような事柄でも実は意味のあることだったなどということすらあるもので、目に見えるものからだけではわからない部分がたくさんあるようです。

例えば、看護師のリアリティショックは、儀式のような意味合いに取れなくもありません。苦しい話ですが、一度は悩み苦しまないと本物になっていけないような感じでしょうか。

邪魔をされない事

自信を失っている時、こんなことはあまり考えられないと思いますが。自信を失うことをきっかけに、新たな方法やスタイル、考え方が構築されることもあるものです。全く別物というよりは、以前のスタイルがより精錬された形に近いのではないでしょうか。

しかし、これほどの痛みを伴うのならばいっそそんなことは後回しにしてしまいたいものです。

成長痛

痛みと言えば、成長痛があります。人によって痛み方は違うようです。体も痛みを伴い成長するのだと思うと、人間的な成長をするためには自信を失ったときの痛みが必要だったということなのでしょうか。そうだとすれば、その痛みも少しは納得がいくというものでしょうか。

このような痛みも一つは存在するでしょう。

しかしそれでは、やはり自分の在り方がまずかったのだ・・・という風に感じてしまうかもしれません。

他者から乱されない在り方

もし何かを変えるという事であれば、どこかで述べたように、AがA´になるようなものです。そもそものAは否定されるべき在り方ではありません。

自信というテーマは非常にすそ野が広く、また奥行きも深そうです。今回の内容は、ほんの一側面でしかないと考えています。カウンセリングというのは、こういう視点も含めて色々と話し合っていくものです。

カウンセリングは、自分の場合はどうかを探していく過程

自分に自信が持てないことについてカウンセリングを行う場合には、様々な話題にもなるとは思いますが、やはり世間とか他者との対比の中で捉え直すというよりは、自分のストーリーの中で探していくという作業になるかと思います。

自分にとっての着地点、納得感、存在意義、価値の発見などのことです。

また、元々自分では納得の行っていた事柄でも、何かのタイミングでそれがブレてわからなくなっている場合もあるでしょう。カウンセリングでその辺りを整理し直すということにも意味を感じますが、その場合、どうせならもっといいものを見つかるかもしれないくらいに取り組むと、カウンセリングへのモチベーションも前向きなものとできるのではないでしょうか。