最終更新日 2025年6月5日
飲食店などのテーブルには、時々アンケート用紙を見かけます。
接客態度に関することであったり、料理の内容に関するものだったように記憶しています。
滅多に記入するような機会もありませんが、あのアンケートには、きっと人それぞれの意見が書かれてくると思うのです。
今回は人の意見を聞くことにまつわるテーマに焦点化しました。
人の意見を聞きすぎてはいけないものなのか?悪い態度ではないのに
人の意見を聞きすぎだ!などと怒られた経験を持つ方もいるはずです。
しかし、人の意見をちゃんと最後まで聞きなさいと学校ではいつも言われていたことのように思います。
岸田元総理も人の話を聞くということをポリシーにしていたくらいです。
それを「聞きすぎ」とはどういうわけなのでしょう。
この「〇〇しすぎ」という表現が巷には溢れています。
コロナの際にも、「心配しすぎ」とか「適切に怖がりなさい」などと世間で飛び交っていたものです。
意見箱の中身は・・・もっと塩味を濃くして欲しい
さて、飲食店の話に戻ります。
例えば塩味ですが、もっと濃くしてほしいという人もいれば、塩加減が強すぎる、などこれは好みによるものでしょう。
仮に、もっと濃くしてほしいという感想が大多数だっとしても、少数の方にとっては味が濃すぎて食べるのが大変になってしまいそうです。
やはり、ここでも全員の希望に等しく応えることは難しいものです。
最も大変そうな例としては、もうちょっとだけ塩加減を強く、とか、いややはり前の
方が良かった、などと意見があちこち行ったり来たりする場合への応え方です。
一つ一つのことに真剣に向き合っていただける態度には敬意を払いたい気持ちです。
否定されるべきものではないはずなのです。
一方、もともとの塩加減はもうどこかへいってしまったのではないでしょうか。
そうなると、総合的な他の小鉢やサラダなどとの調和も崩れてしまいそうであります。
もう料理としては滅茶苦茶です。
これらを我々はどのように受け止め生きてゆけば良いのでしょう。
- 関連ページ:他者の期待に応えようとする心理があると気づいた時
意見を言う人は責任を持たないことも多い
意見を取り入れるという事は、かなり慎重にやった方が良いのではないかと、そんな風に思うこともあります。
また、意見を言う側もその後のフォローをする人とは限りません。
意見を取り入れたのちに何かの問題が起きても、はじめに意見を言った人が責任を取るわけではないのです。
それは、実際にそれを行った人が責任を問われることになる場合がほとんどでしょう。
あたしそんなこと言ったっけ?などととぼける者さえいます。
こんなとき、意見を受けた側の人は言い知れぬ、はらわたの煮えくり返るような思いをさせられることでしょう。
逆に、いつまでも見張っているかのように何度も同じことを確認されることもあります。
逆のパターンもある
この間言ったあのことはもう改善したのでしょうね、とか、その後の報告がないようだけどどうなったのかしら?などという具合にです。
地の果てまで追い込まれるかのようで、いい気はしないものです。
そして時にはとぼけ、時には追い込む者もいます。それは自分の意図に添った行動をとらせようとしている場合などが該当します。
右往左往させられるなら元々の塩加減を貫き通した方がましだったかもしれません。
意見を聞き入れてもらえなかった際に受けた説明
合わせてこちらの側の心情にも触れておきます。
意見を言ったが取り入れてもらえなかった側の経験を持つ人も多いものです。
その場合、どのような説明を受けるのでしょう。
いや、説明があるのは良い例かも知れません。なかには、はぐらかされたとか、適当にあしらわれたなどという風に流されてしまった方も数知れずだと思います。
また、意見は言うが人の意見は聞かないという人も根強いです。
ここで思いだすのは、カウンセリングの「時間」についてです。時間が決まっているため、その時間を十分にご活用いただくという発想をもっています。つまりは、社会ではないがしろにされたことでもその時間は何度でもそのことを話題にすることが可能な時間という性質を持っているのです。
カウンセリングの場合も主体はカウンセラーにない
これら話はカウンセリングにも通じるところがあります。
カウンセリングでは、カウンセラー側が何かの答えを押し付けるという態度は、当然ながら良しとされません。
カウンセラーがその人の人生を決めるわけではなく、自己決定や自己解決を援助する存在とされます。
どんなにもっともらしい意見を述べたとしても、その人が生きている現実の中で、その人にとっての有意義なものでなければ意味をなさないことがほとんどです。
わかりにくい言い回しですが、そもそも意見を言う側が持っている認識と、意見を受ける側の認識は同じではないのです。
しかもどちらが正しいという議論はカウンセリングの場では特に意味をなさないものです。そのため、カウンセラーが自分の意見の正当性を幾ら述べてもこれもあまり有意義とは思えません。
籠りの活用も一つ
籠るというとあまり良い意味で受け取られないことがあります。
しかしながら、ブレを戻したり、そもそもブレないようにするために籠るのも一つの手なのです。
よくブレがちな人は、ブレないぐらいに籠って固めてから表に出るという戦法もあります。
まとめ
ある一つの考え方として、「相談相手を選べたらかなり良い!」とするものがあります。
その相談を一体、「誰」にするのか、これはかなり重要な事なのです。
話す相手によって、まるで別な体験をすることになるものです。
また、そのタイミングや伝え方によっても異なる結果を生むものです。
- 関連ページ:仕事の悩みを相談する相手は誰なのか