最終更新日 2024年4月6日
カウンセリングとは何か、と問われたときの回答の一つに「自己理解促進の場」と答えたとしても間違いではないでしょう。
あくまで、一つのという前提がありますが、カウンセリングで自己理解が促進されることは時に経験されるものです。
カウンセリングで自己理解を深めるとは
多くの場合、「自分の悪い所を探す」と捉えられている模様ですが、そうではありません。何度も述べてきているように、カウンセリングの場は、何かを糾弾したり、説教する場でもありません。その人を尊重する場なのです。
その線からしても、悪い所を探して、ましてや改めさせるなどというのは、尊重とは真逆の話になります。
意識された自分の事は大事にしていただいている
その形状をとっていることには何かの意味がある可能性もあります。
自己理解を深めていくと、「原因」というよりは「意味」の方が浮上することがあります。
「いつも気を張っている自分」に意識が向きそれを認識した人は、それをどう捉えるでしょう。
原因モードで捉えると、「成績を上げないと怒られた子供の頃の体験のためだ」というモードが一つです。
一方、意味が浮上すると、「いつも全力でやろうとしていたんだ!」という自分自身の在り方とつながるかもしれません。
自己理解後の変容
すると、その先は選択制になります。全力でやろうとするときもあれば、いつもでなくとも良いとする意識が生れて選択的になっていけるのではないでしょうか。
気を抜いてしまったらいけないこともあるのですから、より合理的な体勢になったと言えます。
反省などしない自己理解が理想
反省などという方向になるべく意識が向かわない形で、自己理解が促進されることが理想ではないかと考えております。
先にも述べていたように、ここにもカウンセリングにおける安心感の重要性が垣間見えます。
安心・安全な雰囲気の中で行われる対話でなければ、自分に意識を向けるなどという行為は成立そのものが困難でもあり、行ったとしても様々な不純物が混入する結果になります。
どんな風に進めるのか
基本的には対話が用いられます。例えば、カウンセラーから、「その時ご自分ではいかがだったでしょう?」などと質問するわけです。
カウンセラーによっては、なんらかの心理テストを活用しながら進めることもあるでしょう。この辺りはカウンセラーのスタイルによります。
心理テストを使った場合でも、それはあくまで結果であり、カウンセラー側には、「ご自分では、どうです?」という態度が必要だです。
まとめ
基本的に、安心感が漂うカウンセリングでなければ、自己理解の促進は困難であり、危険ではないかと考えています。
また、自己理解を進めるペースや、深さも人それぞれであり、カウンセラーが勝手に押し進めるような態度があってはいけないとも考えております。