最終更新日 2023年8月30日
今までの記事の中で、非日常ということに触れてきました。
実は、カウンセリングを考える上で、非常に重要な要素の一つだと思っています。
普段の生活のことを「日常」としたとき、カウンセリングの場や時間は「非日常」的な場面になり得ると考えており、その非日常性がカウンセリングを深めたり、進展させることにかなり寄与していると感じます。
非日常とカウンセリング
ここで、カウンセリング以外の非日常に触れておくと、イメージが着きやすいのではないかと思います。例えば、昨今、都会に住む人が、週末を利用して、地方に畑を耕しにいくという報道を目にします。
彼らにとっての日常は、都会に在り、この場合、地方の畑が非日常になると考えられます。非日常に身を置くことで、そこへ訪れた人々は、都会では体験しないことを得ます。例えば、水の流れる清水の音や、動物、食事など、非日常的なことがあふれており、そこで何かを体験して、日常へ戻っていくというイメージです。
カウンセリングの場は非日常的
上記の様なイメージとカウンセリングは近いものがあると言えると考えています。
ですから、カウンセリングを行う場所も時間も人も、ちょっと日常的でないとお感じになっていただくくらいがカウンセリングに適しているのではないでしょうか。
これはいろいろな角度から書くことができると思うのですが、一つには、日常生活では話題にのぼらない話が交わされるということが挙げられるでしょう。
普段は意識しなかったことが語りにのぼるという意味で、内容そのものは日常で交わされていることも十分に含んでいます。ですが、カウンセリングの場でそのことをお話になることと、普段の生活でお話になる場合とでは、何かが異なるようなのです。もしかしたらこれがカウンセリングの一番の醍醐味なのかもしれません。
つまり、正確に言えば、あらゆる方向に開かれているということです。これは世間ではダメな事とか、考えてはいけないことという縛りがないのです。存在する思いにこそスポットが当てられる場なのです。
より正確は、普段とは異なる体験が生じると言えるのではないでしょうか。
日常生活から、非日常である心理カウンセリングの場を訪れ、また日常へ戻っていくという構図になります。
日常性をなるべく混入させない工夫をしている
例えば、カウンセリングでお菓子のようなものをお出しするかどうか論争があります。
個人的な見解としては、浮世離れしたお菓子なら有意義であり、隣のコンビニで即席に仕入れたお菓子では日常性を強めてしまう結果になると考えています。(関連:カウンセリングで飲み物を出す機関もある)
とはいえども、現実的にはコントロールできないことの方が多いものです。時代劇を観ていても電線が映り込んでしまったり、馬をCGで作るしかないことがあるようにです。
また予算の問題もあります。
ですから、物理的な要素よりは、意識の要素が大きいのだと考えております。
それは、カウンセリングの場の「安心感」ににかかっていたりもします。
変わった時間
カウンセリングの場で語られる語りは、普段の価値観から離れた、その人の感覚に基づいた語りであるように感じます。
そして、いろいろお伺いしているうちに、いつの間にか時間が来てしまうこともあります。カウンセラー側も、お見えになった方も集中していたということの現れなのではないかと感じています。カウンセリングは、そのような変わった時間でもあります。
あれはなんだったんだろう・・・あんな場所があるんだー・・・不思議な時間だったぁ・・・とこんな声が聞こえて来そうです。
まとめ
非日常性は、安心感のある場所と同様に、カウンセリングのキーワードになります。
カウンセラーがどこか掴みどころのないベールに包まれているかのように感じられるのもその一つでしょう。
スナックの扉を開けるのに勇気がいるような経験をされた方はいないでしょうか。少し近い感じがします。あそこも非日常的空間です。