最終更新日 2023年10月10日
信頼関係もカウンセリングの中核的意味合いを持ちます。
専門的には「ラポール」ちと言い、はカウンセリングを学び始めると、初期の頃から重視される事柄です。カウンセリングの成立そのものに関わると言えるでしょう。
元々は、動物磁気説のF.A.メスメルが使用した言葉だったようですが、昨今では、当たり前のようにカウンセリングを学ぶ者の中で使用される用語です。
カウンセリングにおける信頼関係とは何か?
カウンセリングは、技術を要することは確かだと思いますが、その技術も信頼関係が損なわれている中では意味を失うことが大いにあります。
これは、カウンセリングに限ったことではないと思います。
教師がいかにいい話を生徒にしても、そもそも信頼されていない教師であったら、その意義深い話も退屈に聞かれることでしょう。
医学の分野では、プラシーボ効果などというものさえあります。
無理やり信頼関係を築くよりも、そのためらいを大事にすることの方が重要
このようなことを書くと、とにかくカウンセラーを信頼しなければいけないのではないかという気持ちになり、力が入ってしまうかもしれません。
しかし、信頼は無理やり築くべき性質のものではなく、自然と生まれてくるものと言えるでしょう。
むしろカウンセリングでは不信感も肯定されるべき時間であります。
とにかく腕のいい人が良いのですが・・・
少し幅を広げて信頼関係について考えると、やはり単純なことではないことに気づかされます。
よくテレビなどでお医者さんの評判が取りざたされるようになりましたが、「とにかく腕の良いお医者さんが良い」と考える人も多いものです。
手術を担当するお医者さんが、温厚で話しやすい人物であったとしても、手術の経験が2回位しかなかったら、そのお医者さんを信頼することは確かに難しいのではないでしょうか。
先に技術ありきで、経験値や高い技術こそが信頼の前提であると言い切る人もいることでしょう。
人によっても、どこに信頼を感じるか違いも生まれてくることだと思います。
日本語で言えば、「信頼」と「信用」を分けて捉えることがあります。あの人は頼りにできるとか、あてになるなどと言葉にすることもあるでしょう。
単にフレンドリーであることで十分というものではありません。またロジャーズ風に言えば、そこには「純粋性」が求められます。
カウンセリングは、信頼関係に基づく同盟関係による共同作業
信頼関係が、カウンセリングにどう関係しているというのでしょう。
何度か触れていますが、カウンセリングは、カウンセラー主体に一方的に指示を出して進むものではありません。
助言がないのか?という疑問は別項にしております。(参考:不思議でたまらない。カウンセラーは聞いているだけでアドバイスを一つも言わなかった )
むしろ、「ああでもない、こうでもない」などとカウンセラーとの対話を重ねていく共同作業なのです。
「ああでもない、こうでもない」という対話を重ねることを可能とする背景には、信頼関係の存在があるのです。
CLの立場からすると、「こんな考えを言ってみても馬鹿にされないだろうか・・・」などという思いがあるかもしれません。それは普段の生活で周囲から実際そのような反応をされていたかもしれないのです。
そんな中、カウンセラーは、意味のありそうな話だと真剣に耳を傾ける態度があるわけです。そういう態度がカウンセラーにあることを認識して頂けたからこそ、「ああでもない、こうでもない」対話を繰り返すことがお互いに可能になるのです。
そして、この取り組みを続けるカウンセラーとCLは、直面している問題や現実に何らかの対処を見出そうとするという(一応の)目的を共有した同盟関係にあります。
たゆまぬ内省を
カウンセラー側は、もしラポールが生まれたと感じたとしても気を抜いて良いなどいうことでは決してありません。
それはあくまで入り口でしかなく、その後の自分自身の在り方を常に意識し向上する必要性があることは言うまでもありません。
一度生まれた信頼関係が壊れることも人間関係の中では起こり得ることです。
ビジネスマンは毎朝新聞にくまなく目を通すのではないでしょうか。スポーツ選手はトレーニングを欠かしません。
同様にカウンセラーには、たゆまぬ内省が求められるのではないでしょうか。
まとめ
カウンセリングにおける信頼関係は、単に人がよさそうというだけで語れる問題ではなく、カウンセラーとの出会いが、希望や安心感につながるような体験となるよう目指されるところではないでしょうか。カウンセリングの時間は専門的行為を行う時間であり、自分は専門家であることを忘れてはなりません。