カウンセリングに行ってみたけれど、カウンセラーはただ聴いているだけで、何もアドバイスはなかった。
カウンセリングってそういうものなのだろうか?
とよくわからない経験をする方は少なくないと思います。
中には、こんなことであればカウンセリングになど行かない方が良かったとか、お金や時間だけ無駄になった様だと感じている人も多いのだと思います。
この点について幾つか触れて行きたいと思います。
カウンセラーがアドバイスしない理由とは?
日本のカウンセリングの歴史は、ロジャーズの影響を受けて発展してきた面も強くあります。1950年代にロジャーズが紹介され、多くの人が学びました。
ロジャーズのカウンセリングを勉強すると、カウンセラーに必要な、3つの態度に出会います。それはこれは、相談に来た方の話を、一方的な価値観や評価を挟まず、ありのまま理解しようとする態度の事です。これを学ぶと、カウンセラーは、相談者が自由に語れるように、何も言ってはいけないのではないか?という考えを持つと思います。
何も言ってはいけないというものではありませんが、どうにもその傾向を持ちやすくなるのは確かなようです。
思い付きのアドバイスはほぼ無効
カウンセリングの場で語られる内容は、日常生活の中で多くのアドバイスを受けた可能性があります。
しかし、それでも本人の中で迷いが晴れないため、心理相談専門の場所にお見えになるといういきさつがありますので、確かにカウンセラーが何かの価値観に基づいた一方的な助言を行っても、それは日常生活上のアドバイスとそれほど異なった体験にはならない可能性があります。
心理カウンセラーはやはり聞いているだけなのか?
さて、カウンセラーは、やはり聞いているだけなのでしょうか?
聞いているだけでないとしたら、何をしているのでしょう。
先に述べておくと、聞いているだけのように見えることはありますし実際殆ど発言しないこともあります。
その場合、聞くこと自体に意味があると言えるでしょう。また、聞くことを成立させることが専門的行為でもあると考えています。
その他、助言のようなことを言う場合もあります。しかし、これは単なる助言ではなく、聞くことの延長線上に生まれ出る助言です。
安全にお話頂けるように全力を注いでいる
解決策のようなことを示すことも大事なことですが、もう一つ大事なことは、安全を確保することです。一方的な意見やアドバイスは時に、大きなダメージをもたらすことがあります。
この安全を守ることに全神経を注ぐくらいの態度があっていいものではないかと常々考えています。
こういう時間には、むしろご本人の持つ力が発動しやすくなるとも感じます。
カウンセラー側はここで勘違いすべきではなく、やはり不自然な沈黙や長時間の間は脅威と化すことが多分にあることを自覚すべきではないでしょうか。本当に安心できる時間であるか点検が必要です。
カウンセリングで何を体験するか
まず、カウンセリングを体験した場合の事を例にして話を進めてみたいと思います。
カウンセリングを体験していただき、ご本人の中でこういうものだとイメージがついた場合には、それほど説明の言葉を多くせずとも、カウンセリングをご理解いただいたと感じることもあります。
つまり、カウンセリングをどのように利用するかという点で、ご自分なりの使い方にイメージがつくようです。その場合下記の様な体験が起きていたのではないかと想像します。
- 他の時間とは、何か違った
- 否定されなかった。自由に話すことができた
- 安心して時間を過ごすことが出来た
- 新しい視点が見えた
- 自分自身に意識が向いた
など、このような体験をなさった場合です。
このような場合には、これがカウンセリングだったんだと、言葉にはならないにしても実感していただけるようです。
その他の場合
結局カウンセリングとは何をする場所なのかわからないままカウンセリングを終了する場合があることも事実です。
- まず、第一にカウンセラーの専門性が不足していた可能性を一番に挙げておきたいと思います。カウンセリングには、相当の訓練が必須です。しかし、これが全てではありません。
- まったく得ることがなく、生活もまったく変化がなくカウンセリングを終える場合
- まったく得ることはなかったと感じるが、不思議なことに自分でいろいろとやりくりして当面のことに整理がついた
前者2つの場合は、単純にカウンセリングにがっかりされていることでしょう。
後者の場合は、カウンセリングなど役に立たなかったので自分でなんとかしたというニュアンスに聞こえます。
前者の方にとってまったく無意味な時間であったかどうかは議論の余地があるのかもしれませんが、後者の方は少なくとも話が進んだようです。
このような場合、カウンセラーは話を伺っているだけだった場合がほとんどだと思います。
つまり、相談に対して、カウンセラーがアドバイスを行って終了するという形が必ずしもカウンセリングを表すものではないことを意味していると思います。
さらに言えば、聴いているだけと見えるカウンセリングでも、相談内容が進展する場合も少なくありません。
この辺りが、他の相談との違いと言える点だと思います。カウンセリングを検討し、予約、来室、セッション、退室までの一連の流れの中に、何かの意味が含まれている可能性があるのです。
カウンセラーの力が物事の進展をもたらすのではない
いずれにしてもカウンセリングに訪れる方は、現在直面されている問題に自らの力で取り組んでいるとしか表現の仕方がみつかりません。
カウンセラーがお会いする時間は、ほんの50分程度なのですから、実生活の中でご本人がさまざまな工夫を凝らしたりして、話が進んだと感じるわけです。基本的には、カウンセリングセッション中に生じた何らかの体験が日常生活上の進展と関係していると考えています。
少なくとも、阻害しないよう聞いている
だとすると、カウンセラーはどのような事を行っているのか?という疑問が出てきます。体験というキーワードが出ましたが、このことに関しては、また様々な角度から別の記事にしていきたいと思います。
少なくとも、心理カウンセラーは、CLの語りに、自分の価値観を挟んで自由な語りを阻害しないように聴いているということは言えると思います。もう少し言えば、その人が進みたい方向を明確にできるよう聴いているとでも言えましょう。
何もしないで傍らにいる、などと言うと、ずっと沈黙しているようなイメージですが、聴いているだけというのは、ずっと沈黙している事とは異なります。
邪魔をしないように聴いているのです。こうしたことは、普段の生活の中では、なかなか難しいことであると思います。指導しなければならない立場だったりすると、口を挟まないわけにはいかない人もあるでしょう。
これは、訓練も要する専門的な行為と言えると思っています。実際、カウンセリングの研修場面などで、ロールプレイを行うと、3分でも困難を覚えるものです。
カウンセリングはその人のためだけに準備・確保された時間であるから、カウンセラーは邪魔せず聴くということに徹することができるのだと思います。
アドバイスしてはいけないものではない
アドバイスが否定されるものかと言えば、そうは言い切れないと思います。実際、アドバイスを行っているカウンセラーはいることでしょう。
一つの考え方ですが、相談者の語りを聴いているいると(ロジャーズのカウンセリングのようにしっかりと)、その場に生まれてくる物語があります。これはよく聴いていくと、カウンセラー、相談者の間に共有される物語が浮かび上がってくるというものです。
そこでは、相談者が進みたい方向が垣間見えることがあります。ここまで語りが共有されていくと、カウンセラーにも言えることが出てくることもあります。それをお伝えすることもあり、見方によってはそれはアドバイスとして映るでしょう。
しかし、それは一方的なアドバイスではなく、相談者の語りを尊重し続けることの延長線上にあるものなのです。
カウンセラー側は、「カウンセリングにおけるアドバイスとは何か」という点について深く考える機会を持つことが重要だと思います。
アドバイスを求めたいという意志を尊重・肯定する
もう一つここで付け加えたいことがあります。これはカウンセラー側が意識する内容ですが、先ほど挙げてきたようにロジャーズを学ぶとどうしても助言や意見を言いづらくなります。
ここで、ロジャーズの言う本質をクライエントを尊重する事と思い直すとカウンセラー側に新たな視点が芽生えないでしょうか。これはリフレーミングとも言えるでしょう。
つまり、アドバイスを求めるクライエントは、「今、何かを取り入れたい」という意志が高まっている人と捉えられないでしょうか。だとすれば、意見の内容は様々ですが伝えることはクライエントの来談の意欲を肯定したことにならないでしょうか。
オーダーメイド
もう少し一般的な言葉で、まとめるならば、カウンセラーが行うアドバイスはオーダーメイドなものということになると思います。
例えば、仕事を辞めるべきか続けるべきか迷っている方に対して、<一般的に仕事を辞めるのはもう少しまった方がいいと言われています>というようなアドバイスは、オーダーメイドとは言えないわけで、一般論に基づくアドバイスです。
オーダーメイドとは、その人のそれまでの体験、物語に添った、つまり、背景事情などを踏まえた上での、その人にとって意味のあるアドバイスということになると思います。
2択では応えきれない性質の迷いばかりだと思います。カウンセリングでは、第3の道が見えてくることさえあります。例えば、仕事で体調を崩した人が、今後、経済的な事よりも健康的に生きて行きたいという希望がはっきりしてきた場合、辞めないにしても、極力、自身を守り抜く形での力のこめ方を勧めるなどがそれに当たるでしょう。
1回のカウンセリングで、そこに行きつくこともあれば、もう少し時間をかけてそれを探した方が良い場合もあると感じています。
カウンセリングの時間そのものがアドバイスの性質を備えている
最後に、補足ですが、実際、言語上のいわゆるアドバイスを行わずとも、面接が進展することは少なくありません。
つまりこれのことが意味するところは、カウンセリングの時間自体に何かアドバイスのような性質が含まれているという事です。
或いは、先に挙げたように、安全な時間をともに過ごせただけでも大いなる意味を持つと感じています。
「話して整理がついてきた」とか、「力が抜けたらやれそうな気がしてきた・・・」などこういう変化は起こり得ます。敢えて、お互いに言葉にし合わなくても、この場合お互いに手応えを感じて面接を終了するものです。
まとめ
散文ではありましたが、カウンセラーが何を行っているかについて触れてきました。最後に、カウンセリングを受ける際に役立ちそうなポイントを整理しておきたいと思います。
- 自分が何をしにカウンセリングに行くのかを確認しておく。多くの場合は、~についての相談ということだと思います。
- その相談内容に、カウンセリングが役立つかどうかを検討すること
- 人から勧められた場合、本当に行く必要があるのかどうかを検討する
- カウンセラーからは具体的な助言があるとは限らない。しかし、助言を希望している旨は伝えることができる。
- カウンセラーは聞いているだけに見えるが、そうではない。
- 何も言わないカウンセラーもいる、と考えておいた方が安全ではある。
- カウンセリングへの疑問については、カウンセラーに尋ねることができるはずである。
- ここに書かれていることは、やはりカウンセリングの一側面でしかなく、他のカウンセラーであれば、別な説明をする可能性が大いにある。