最終更新日 2024年12月23日
カウンセリングに大きな期待を持つ人もいらっしゃるかと思いますが、実に地道で地味な作業です。
ここでは敢えてそのデメリットに注目してみたいと思います。
カウンセリング9つのデメリット
もっと挙げられるかも知れませんが、話が広がり過ぎるわかりにくくなってしまうので今回は6つに絞ろうと思います。
とにかく色々な意味でエネルギーがかかる
極めて現実的な話から入ると、カウンセリングは時に多くの費用や長い時間を必要とすることがあります。
もちろんこれは全てではありません。1回から数回で終了することも少なくありません。しかし長期のカウンセリングに至る場合があることは事実です。この点は、カウンセリングの頻度や回数についてをご参照下さい。
※当オフィスの場合は、いつでもカウンセリングを終わりにできることにかなり神経を集中しています。決して無理強いや、カウンセラー側の考えだけで期間を延長していくような態度があってはいけないと考えています。もちろんその人その人で必要な回数や期間は異なるので、ご自身に合った使い方であれば良いと思います。
本来のカウンセリングから横道にそれた場合、主体的な力が弱まるのではないか
カウンセリングは通常の相談とは異なります。
単に、何かの問題や悩みに対してカウンセラーが助言をすることで解決の道が開けるという性質のものではありません。そこには洞察や内省なども必要となる取り組みなのだと思います。
確かにカウンセラーは何かのきっかけになる存在ではあるのですが、実際に悩みや問題に直面しているのはその人当人であり代わりに解決することはできないものです。カウンセラーは黒衣と考えることもあるくらいです。
しかし時に、カウンセラーが強く出るような面接になってしまうこともないわけではありません。
その場合は、カウンセラーが考える解決の道に向かってしまうという事になります。
カウンセラーが余計な事を言う
カウンセリングへの期待ということを冒頭で挙げましたが、カウンセラーも決して万能な存在ではありません。
せっかく高い費用や労力を費やしてカウンセリングにやってきたのに、担当カウンセラーのためにかえって嫌な思いをするような場合がないことはありません。(常に資質向上の研鑽を欠かさないでやっていこうと思っています。)
※自分自身を棚に上げるつもりはありませんが、このようなことは全国的に起きている事のように思います。
求めていたものとは違ったという、ミスマッチが起きることもあります。多く見られるのは、アドバイスにまつわることです。これは、「一般論レベルの回答しかなかった」、「まったく見当違いのアドバイスだった」、「アドバイスに余計に腹が立った」などという事柄です。
そもそも、<カウンセラーはアドバイスをする存在なのか?>というところから双方の認識がずれてしまう事があります。仮に、アドバイスをお求めの方がいることは重々承知している場合であってもです。
いつの間にか別な事に取り組んでいる
確かにカウンセリングを開始したとお互いに思っていた場合でも、いつの間にか迷走したのかトレーニングのようになっていることがあります。
<直すのとは違う>などと謳っていたカウンセラーも、<もっとこの辺の能力を高めて行けるよう練習しましょう>などといつの間にか言っているような状況です。
方向性がずれていくことは時に起こり得ますので、時々お互いに足元を確認するように振り返ることも必要なのだと思います。
カウンセラーとの関係のとり方が独特である
これは職業倫理に関するような話ですのでカウンセラー側が留意している事です。
専門家として会っているのであって、私人としてそこにいるのではありません。
いつしかお歳暮を期待するような間柄になってはいけません。
どこかカウンセラーとの関係は一抹の寂しさを生み出すことがあります。
その時間だけしか会えないためです。
もし、何かの習い事なら5年も10年も通ったなら、買い物先で偶然会ったところでお茶をするようなことがあるかもしれません。
しかしカウンセリングにおいてはそれがないのです。
デメリットとして考えるなら、気軽には会えないという表現になるでしょうか。
異次元の知人というような扱いとすると馴染みやすいかと思います。
メールや電話で済ませられない
オンラインや電話相談は非常に増えましたが、対面形式で行う場合は、その名の通り直接会ってのみ成立する営みです。(これはメールカウンセリングやオンラインを否定しているのではありません)
対面の場合は、時間をかけて面接室まで行き、所定の時間の中で行われます。
現代社会の感覚として、なぜわざわざ手間暇のかかるやり方を採用しているのか理解に苦しむ方もあるのではないでしょうか。
IT社会にとっては特に大きなデメリットとして映るでしょう。
カウンセリングが問題を長期化させているのではないかとの批判が出ることもある
中には、「カウンセリングなど続けるよりも、環境を変えた方が良いのではないか?」と考える人もいれば、「むしろカウンセリングを行っているから、問題が解決しないのだ」と考える人さえいると思っています。
これは、非常に意味のあるご意見ですし、実際のところ、カウンセラーが、知らず知らず、自主性を奪ってしまっている可能性も時にあるのだと自覚しています。
見た目には何を行っているかよくわからないので、周囲の人への説明も重要なことになってくると感じています。
ご家族や、ご本人の周囲の人から、カウンセリングに意味が見いだせない、無意味なのではないかというご意見は多くの場面で聞かれます。
学校では、先生方も、そのような感想をお持ちになっているのではないかと想像しています。
「受容や共感が大事だというけれど、それが何になるのか?もっと指導をしなくては解決しないのではないか」、「不登校の生徒に電話もかけなくて良いのか?待つだけがカウンセリングなのか?」
などと、このような声が聞こえてきそうでありますし、ご家庭からも、「カウンセリングに通わせるなら、習い事や、塾にでも行った方が、有意義な時間になるのではないか?」というような声がありそうです。
カウンセリングは、指導や教育とは別なものであるとされます。そのため、その時間に教育や指導は当然ながら行われていません。内的な作業を行っているという、なんとも周囲の人からはわかりにくい言い方になってしまいます。
目にも見えなければ、その他にも確認することが難しいことを扱っているわけです。(教育においても、この視点は当然存在していると思いますが)
カウンセラーに気をつかって通っているようなものだ
なかなか言い出せず、いつの間にかカウンセラーのペースで面接が進められてしまっていることがあります。来談者中心などと謳っているわけですから、これでは本末転倒です。
むしろ負担の方が強く出てしまいます。やめられないカウンセリングなどはごめん被りたいところです。
職場や家族へ、自分の代わりに調整役を果たして欲しいのだが・・・やってはくれない
色々と活動の仕方に違いはありますが、基本的にはカウンセラーが調整役になることはありません。環境を調整する専門家ではないためです。(この点については多くの異論が起きますが)
まとめ
カウンセリングは本当に役立つものなのでしょうか。
まだまだ様々な疑問、あるいは疑念をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。
カウンセラーがずっと黙って頷いているだけなのは一体なぜなのか?あれが相談と言えるのか・・・様々な疑問があることと思います。
総じて感じたのは、カウンセリングにおいてデメリットが生じる時にはカウンセラー側の要因がかなり影響しているのだろうということです。カウンセラーがその点を意識しておくことで、これらのデメリットは最小限に食い止められることであるとも感じた次第です。
何度かカウンセリングを続けてはみたけれど、「何にも変わらない」、「これ以上話すこともない」と、モチベーションがなくなることが確かにあります。
そこで、終了となることもあれば、その疑問から面接の方向性が見直されることもあります。カウンセラーと方向性をもう一度確認し合ったり、疑問を話し合える雰囲気・関係であることは重要な事です。
カウンセラー側が独りよがりになってはいないか、関係者への説明は十分か、本人は意味を感じているか・・・等々、時にはこれらのことに思いめぐらせることがカウンセラー側には必要です。
仮にカウンセラーだけが変化を感じ取っていたとしても、相談者側からするとよくわからないことだったりします。いつでも主体はクライエント側にある場所なのです。