カウンセリングでは目的論的発想が用いられることがある

円環的

最終更新日 2025年1月11日

我々は物事を捉える時に、どんな考え方をするでしょう。

例えば、下駄の鼻緒が切れたら何か不吉な予感がしますが、単に古くなったからとも考えられます。

捉え方にとってまるで別なストーリーへと変わってしまうようです。

目的論的発想を用いるカウンセリング

物事の捉え方の一つに、目的論が挙げられます。対になる捉え方は機械論とか因果論、原因論などと呼ばれます。

厳密な定義は抜きにしたいと思いますが、カウンセリングでは目的論的な発想をとる場合があります。(「的」というように曖昧な表現としておきたいと思います)

もちろん因果論を軽視する立場ではありません。科学の発展は因果論によるところが大きいわけですし、我々はその恩恵をたくさん受けています。

ここで言いたいことは、目的論的な発想を取り入れることによって、より腑に落ちる理解が可能になることもあるということです。

既に、過去の記事に記してきた例もありますので、そちらをご参照頂きたいと思います。

関連サイト:因果論についてはこちらをご参照下さい。

目的論的な捉え方の例

身近な所で、目的論的な発想を例示出来たらと思うところです。

食中毒の際の嘔吐の目的

豚肉にやられる

これはイメージが付きやすいのではないかと思うのですが、もし腐ったものでも食べてしまった際には、後からひどい下痢や嘔吐に困らされた経験を持つ方は多い事でしょう。

この時、「吐き出す」ということの意味は、まさに「吐いて外に出す」ということだったのです。

何らかの毒素を体外に出すという目的がそこに読み取れるでしょう。

これは目的論的発想による理解です。

この場合、吐くというのは苦しいことになりますが、しかし、吐き出してしまわなければ大変なことになるのです。

涙を流して泣く

涙を流す意味

これもイメージがつきやすいのではないでしょうか。

泣くという場合、悲しいからというイメージが先立ちますがもっと体の方面に近い事からはじめると、「涙を流してゴミを排出する」という目的があります。

ロザリー
ロザリー
泣いているのは、目にゴミが入ったからなの。心配しないで

また、感情的に意味があると納得する方はいるのではないでしょうか。

クラリス
クラリス
なんだかたくさん泣いたら気分がすっきりしたわ・・・あたしもう大丈夫みたい

この場合、泣いて悲しむこと自体に、気持ちを整理する意味が備わっていたと解することが出来ないでしょうか。

逆に涙なんで流れないこともあります。

ロザリンダ
ロザリンダ
大好きなおじいさまの
葬儀なのに、あたしったらまるで気持ちが動かないの・・・薄情者なのかしら・・・

これを後ろ向きに捉えて、薄情者だからなどと因果論的に理解されてしまうこともあります。

この場合、目的論的に捉えると、大好きなおじい様が亡くなったショックから一時的に心を凍らせて持ちこたえようとしているのです。悲しみの現れ方は人それぞれなのです。決して薄情者なのではありません。

カウンセラーとしての立場からゲリラ豪雨の役割が垣間見えた

それはある年の事でした。

梅雨明け以降、予想通り物凄い暑さが続いています。柏市内も30℃近いと思います。全国の天気予報など見ていると、30℃超えの都市がたくさんありました。もしかすると柏は涼しいほうなのでしょうか。例年、暑さの記録が更新されたというようなニュースを頻繁に目にするものです。

さて、この季節には例年、ゲリラ豪雨がやってくるようになりました。兼ねてより夕立はありましたが、昨今はゲリラ豪雨です。ないしは雷雨です。

ゲリラ豪雨では、先ほどまで快晴だった空が、いつのまにか雨雲に覆われて突然に勢いの強い雨が降ってきます。かと思えば、さっさと止んでしまうのです。どこか趣漂う夕立とは明らかに様相が異なります。ある時から、ゲリラ豪雨には何か意味があるのではないか?と感じるようになりました。

カウンセラーの視点が備わってきたから感じたのかもしれません。

思うに、ゲリラ豪雨前の空を見上げると、『雨が降りたがっていて仕方ない』雰囲気が感じ取られてきます。

湿気が充満していることもそれを手伝います。

そうして降ってきた雨が、アスファルトやビルのコンクリートを冷やし去っていくと、どこか周囲の気温が下がるのです。

つまり、ゲリラ豪雨は温まりすぎた都市の地表面を冷やしたかったのではないでしょうか。(ゲリラ豪雨に意思があるなどという話ではなく)

降りたがる雨

降りたがる雨などという表現は滅多に見ることはないと思います。降らずにはいられなかった雨とも言い換えられるでしょう。(この表現はある知人から着想を得ました)

ゲリラ豪雨などあると街で生活している者としては非常に大変な思いをすることになりますが、しかし、雨も降らざるを得なかったのかと考え出すと、ゲリラ豪雨に対する見方も少し変化してきました。

何かを調節したり守っていた可能性があるわけです。辺りの均衡を保とうとしたと言えるでしょうか。

昨今の夏の暑さに伴って、自然ができうる修復をしているという風に見えなくもありません。(壊れた結果ではなく、壊れまいとする有様)

これは、人が運動すると汗をかいて体温を調節する、ホメオスタシスに似ています。

昨今の暑さは誰もが感じるように、一昔前よりはるかに気温が上昇しています。おそらく正確には気温の高い日が増えたということなのだと思いますが。そして、都会では、上昇した気温が下がりにくいということも暑さを手伝っています。

この気温の上昇と対峙するには、ゲリラ豪雨ぐらいのインパクトが必要なのでしょう。

それには何かの意味がある、という視点はカウンセリングを学ぶ過程で培った態度です。

ここではゲリラ豪雨を例にとりましたが、実際のカウンセリングにおいてもこのような発想は大事にしているつもりです。

端的に言えば、原因とは異なる、意味の方が見えてきた時に話が進展することも多々あります。

希望につながることも

さて、目的論的発想は時に希望を生み出すこともあります。

つまり、因果論に基づく理解では散々な事柄であっても、実は何かの意味があったと捉え直されたときには、時に希望につながるのではないでしょうか。

人生レベルの意味を見出すこともあれば、過去や自分の在り方、受験や仕事など多岐にわたって、見方の転換が起きる可能性を持っているようです。

カウンセリングにおいては、対話を通して進めて行きます。腑に落ちたとカウンセラー側も感じることがあり、それは単に理解とか思考という次元ではないように思われます。

腑に落ちるという表現が今のところしっくりきます。

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まとめ

目的論にしてもなんにしても、我々は支援を目的としています。

カウンセリングにおいては、意味のある視点、その人が生きて行くことを支えるような視点を大事に考えています。様々な条件が一致するように、時に大きな力を生むことがあります。