ブログ著者:臨床心理士 松田卓也

最終更新日:2025年10月19日

人前で演奏したくない!それでもいいような気持ちになってきた

楽器

音楽は誰のものでもなく、それをやってみたい人が楽器を手に取ります。

披露しない音楽には意味がないと言い切る人がいますが、決してそうは思いません。

人前では演奏したくない。ギターを通して精神性を深め、探求している

例えば、ギターを弾く人はどこか魅力的に見えることがあります。

見栄えばかりに拘った人もいれば、しっとりした印象の人、どこか異世界な感じのする人など様々な魅力を持っています。

誰かに聴かせたいという動機からギターを持った人は少なくはないと思いますし、誰しも多少はそういう気持ちをもっているものです。

ですが20年も経つと、どこにしまったかさえわからなくなっているものです。

一方、長い友としてギターに親しむ人もいます。

あるフォークシンガーだったように記憶していますが、(50代くらい)まだ自分でギター弾いてる奴なんて馬鹿だね、などと言っており、当人はプロのミュージシャンに任せてしまっているようでした。

一人で楽器を弾いても、フロイトが言うカタルシスのようなことも起きる

私は臨床心理士なので、こういう言い方をしてみますがフロイトの本などを読めば登場するのがカタルシスです。

もし自分の表現したい気持ちがあったとき、人は日記を書いたりするものです。

それにより何か気持ちが晴れたりきもちがすっきりすることもあります。

この場合、その人の場合は日記であったに過ぎず、別な人は絵でも描くことでしょう。言葉にならない言葉は絵の方が表現しやすいこともあります。

ギターも同様の事が言えないでしょうか。

例えば振られたときなど、悲しい歌をつま弾きたくなるやもしれません。

カタルシスとただのストレス発散の道具のように聞こえてしまいますが、その次元におさまらず、もっと深い意味での精神性探求の道具となっていることは言うまでもありません。

カタルシスというよりは、「瞑想」・「トランス」という方が近いこともあるでしょう。

表現の道具

稚拙な言い方になりますが、楽器が自分自身の思いを表す道具となることもあるでしょう。

もしも楽器が弾けたなら、あの曲を弾き続けたい、あの人を想いながら!などという方もあるでしょう。

楽器は100年でもおそらく永らえる

バイオリンの名前でよく、ストラディバリウスを聞きます。

あのバイオリンは、300年くらい前に作られています。

その辺で買ったギターであっても、100年はいけるのではないかと思います。

もちろん、コンサートで演奏できる水準であるかどうかは抜きにしてですが、50年くらい前のギターは普通に出回っています。

引きずり出されない事

ギターを弾けることが誰かに知られると、引きずり出される可能性があります。

もし出たいのならば良い機会となりますが、気分が乗らない方は出ない方をお勧めしたいところです。

恥をかかされたり、なぜか因縁をつけられることもあります。

大事な世界を他人に見せる行為は非常に危険を伴う事でもあります。

せっかくの世界観を台無しにされるのは大変もったいない事だと思っています。

小説を読む時、それは別に読書感想文を書くことを前提としません。ですが、読んだ小説はその人の心の肥やしのようになっていくことでしょう。

小説のそれと、独り数百年前に書かれた譜面と向き合いながら音を紡ぎ出すときのそれは同じことなのではないかと思います。

なぜカウンセリングのブログでギターが登場するのか

カウンセリング関係のブログを書いているわけですが、なぜギターの話なのかと不思議に思われるかもしれません。

先ほど、瞑想とかカタルシス、トランスという言葉を出しましたように、このテーマは無縁でないように思っています。

一つにはカウンセラーとしての在り方に示唆を与えるものがあります。

それは、外からの刺激にブレずに在る事を思い出させてくれる話であることです。

この点は、別記事をお読みいただければと思います。

また、その人にとっての意味、という観点からみても楽器を弾く理由は自由であると思うところです。

人は、それぞれに個別の物語を生きているという見方があります。

それは世間が言う一般論や価値観から構成される現実とは異なるものです。

当人がどのような意味を感じているのかという点はカウンセリングにおいても非常に重視しているのです。ギターを弾く意味などと考えはじめると、どうしてもそこまで思いを巡らせずにはいられなくなるのです。

大切な誰かから譲り受けたギターなら、それを弾く時間は、その誰かと思い出の中で触れ合う時間という風にも解釈できるように、ギターを弾く意味は個別なのだと思うところです。

「あの歌を聞くたびに、あの人を思いだす・・・」 こんな歌詞もどこかにあったのではないでしょうか。

まとめ

音楽との付き合い方が自由であり、人それぞれであるように、楽器との付き合い方も相当に幅のあることだと素人ながらに思っています。

世の中には人に披露することが前提とされてはいながらも、実はそうでない事柄が存在するのではないでしょうか。

なぜわざわざ人に見せなければならないかと思うようになったとしても間違いではないと思います。

時に、誰かと共有したいという誘惑に駆られることもあると思います。

そんな時は相手をよく選び、慎重になされることが重要ではないでしょうか。