不思議なことに暑い中でも、人間の体温が上がり続けないことには、ホメオスタシスの働きがあると言われています。ホメオスタシスという言葉は、通常使わないものだと思います。
これは一体どういうものなのでしょう。カタカナ言葉からは想像もつきません。
心理学においてはストレスのことについて学ぶ際に登場することがあります。
そして、実はカウンセリングにおいてもこの概念が応用されることがあります。
我々はホメオスタシスの力によって調節されている
例えば、暑い日には汗をかきます。この汗は意図的に出せるものではなく、自然と発汗しています。では、何のための発汗かと言えば、体を冷ましている ということになります。
また、炎天下の中を歩いたならば、我々は暑いと感じます。暑いと感じることで、日陰に身を寄せたり、水分を補給しようとするのです。
ここにホメオスタシスの意義があります。つまり、ホメオスタシスとは、生き物の恒常性(良い状態を保つ)を維持しようとする機能のことです。
全く意識せずとも、我々の体は、全力で体を、ある意味では守ろうとしている のです。
このような働きの元、体温は調整され暑い中でも活動することができます。
しかし、このホメオスタシスにも限界があります。昨今、熱中症が毎夏ニュースになっていますが、発汗だけでは追いつかないこともありまあす。また、発汗のため、水分が不足してしまうことも視野に入れねばなりません。
ホメオスタシスの他に我々は知識ととして、長時間暑い中に身を置くことは危険であることや水分摂取が必要であることを知っています。なんとか無事にこの夏を乗り切りたいものです。
心理的現象にもホメオスタシス
心理学の中では、ホメオスタシスの働きは、生理的なことに限らず、心理的な何も存在するとする考え方があります。
ゲシュタルト療法のパールズが見出したことですが、不快感や怒りが、それにあたるとされます。
つまり、不快感が生じるということには、何かの調節を必要としている現れであると、このような意味ではないでしょうか。
汗をかいたなら、体がべとべとして着替えも必要になり面倒です。しかしそれは暑くて体温調節していることを意味します。もし汗を止めようなどとしたら、体にこもった熱によって我々の組織は崩壊をはじめます。
この観点からすると、不快感もむやみに止めてはいけないということになりますが、社会的には、不快感の表出は推奨されにくい物でもあります。
しかし、よくよく考えてみれば人間に本来的に備わっている感情なのですから、やはり無視してよい類のものではないのではないでしょうか。
気持ちの面でいえば、我々人類は、悲しいときに、泣くことで、気持ちを新たにした経験を持っています。
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改めてカウンセリングにおける調節の視点を考える
このことは、まさにカウンセリングに関係する話です。
パールズは不快感や怒りというところでしたが、カウンセリングにおいておそらくこれは感情や、行動、そのほか様々なエピソードまでかなり広い幅で考えてよいことではないかと思います。
「そうか、あれは調節している様なのか・・・」と捉えなおすことがあれば、深刻な問題視からは遠のくかもしれませんし、より本質的な対処を見出すことにつながるかもしれません。
だとすれば、例えば「仕事に不快感を感じてはいけない」という道徳的観点が強調されたとき、不快感の意義は抑制されることになります。
抑制し続けたその不快感はいったいどのようになってしまうのでしょう。という懸念を感じざるを得ません。
いつかそのため込んだ不快感が爆発などということもあるでしょうか。(ある種それもホメオスタシスの発動のようにもとれます。より大きな形で調節している様と見えます)
不快感の意味に目を向けたとき、平たく言えば「ガス抜き」という捉え方もあれば、「仕事に何か思うところがある、負担を抱えている、今とは方向性、やり方を変更する必要性を物語っている」などというような理解も成り立つのではないでしょうか。
すると、愚痴を言いながら働く職場というのもなあってよいように思いますし、何か仕事をもっと開放的に働きたいと希望しているのかもしれないなどという想像がなされていき、そこに対処法も見いだせるかもしれません。
それには、対話を重ねる必要があるわけですが。
このような発想は、目的論的な視点で行われるカウンセリングと通じるところがあります。
まとめ
ホメオスタシスは恒常性と訳されます。
カウンセリングにおいて恒常性も大事な概念になると思いますが、我々心理臨床家は「より良い」というキーワードを挙げています。
カウンセラーの視点としては、今の状態を保とうとしている、リカバリーという他、さらにより良い形を模索している状態ということも含んでいます。
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