教職員のストレスとは

もういっぱいいっぱい

最終更新日 2025年3月10日

今回は教職員のストレスに注目しました。

教職員の休職状況が発表されています。

予てより、教職員の労働状況は度々テレビやネットの報道にも取り上げられていました。

教職員のストレスについて

いつもニコニコしていた先生を何人も覚えていますが、あの笑顔の背景にはたくさんのことを背負っていたのでしょうか。

それとも、年々の忙しさの中で、段々とニコニコしていた先生も減っていってしまったのでしょうか。

人手不足も深刻

少子高齢化を背景に、団塊の世代が一斉退職すると教職員の世界でも人手不足がやはり深刻化しています。

  • 参考資料:令和4年度学校教員統計中間報告(学校教員統計調査の結果中間報告)を公表します。 

どのくらい不足しているのか、一つには3112名程の未配置があるというデータがでています。

参考サイト:TBS NEWS DIG Powered by JNNより

この報道によると、全日本教職員組合などの発表をまとめ、深刻な教員不足の現状を述べています。

こちらでも教職員のメンタルヘルスについて言及されています。

子供にまつわる法律や保護者、捉え方など様々な変化があった

学校は社会の縮図という表現があったように記憶しています。

社会がこれほどまでに流動している中、学校はその反動を直接的に受けているのではないでしょうか。

例えば、「国際化」などと謳い始めたためか小学校で英語を教えるようになりました。

一体どんな風な授業が行われているのか想像もつきませんが、どなたかの先生は英語を必死で勉強し直したのではないでしょうか。

その他、プログラミングもはじまったと聞きますし、コロナに関連してオンライン授業なるものまで急速で導入されました。いつか黒板も使わなくなるのでしょうか。

なにより各種コンプライアンス遵守は教育の世界を一変させた可能性があります。

聖域なき働き方改革?

日本全体として働き方改革が促進されていることは確かですが、教職員の世界では、何度も報道にもなるように、それとは逆行する話を度々耳にします。

データには現れない残業などは山のようにあるのでしょう。

部活顧問の問題は記憶に新しい所です。

残業は概ね、良い方には向かないというデータが示されております。(全部画一的に考えられる事ではないとは思いますが。)

昔いつもイライラしていた先生もたくさんいましたが、もしかして残業に圧迫されていたのでしょうか?

教育の複雑化

社会の変動を顧みただけでも、教育は年々複雑化しているはずです。

先に挙げたように小学校でも英語が教えられるようになりました。

授業の上手い先生の動画を作成してしまえばいいという意見があると承知しています。

これはどう捉えたなら良いのでしょう。補助的に用いると言う事であれば了解できるかもしれませんが、全てがそうなってしまったら教員の仕事から授業が消えることになります。

その他の事をする者が教員という新たな定義が生まれるのでしょうか。

個人的には、偶然でも誰に教わったかが人生を左右する位の衝撃だったように思うのですが・・・それが一律化されると言う事になります。

保護者の存在感

予てよりPTAは存在感をもっていましたが、以前よりも保護者との連絡頻度は増えていると想像しています。これは各種通信技術の変化も一つの要因であるとは思いますが、もっと広範な事情が想像されます。

存在感はありつつも、共働世帯が増加したことはさらに学校への負担を求められてしまうということなのかもしれません。

色々な人が学校に関わるようになった

いい面だけを見ようとすれば、多くの人や専門職が学校に関わることは望ましい事と言えるかもしれません。

一方で、色々な人が出入りするためには準備も必要ですし、間に合わないまま何かが開始され手探り状態が続くことも稀ではありません。

スクールカウンセラー導入に際しても相当の混乱があったはずですし、いまだにそれは続いていると見ています。

1990年代後半頃に民間校長の登用がありました。スクールカウンセラーも同じような時期です。

社会の複雑化が凝縮される場でもある

そもそもにあってしまうかもしれませんが、現代社会の諸問題が学校に社会の縮図のように凝縮されているという見方も成り立つでしょうか。昭和と令和とでは大変多くの事が違います。

これは日本全体の変動から伺えることです。関係ないようで大きく言えば少子高齢化ですが、介護問題が学校とも通じている所があります。

休職状況

令和4年度公立学校教職員の人事行政状況調査によると、教職員の休職理由は、「精神疾患」で6539名でした。過去最多となっています。

休職は、教員に限らず他の公務員、一般企業においてもその動向が注目されています。

現代シャイアではとりわけ、そうしたテーマのカウンセリングが行われるようにもなりました。

まとめ

教職員は、子供からすれば確実な存在として映ってきたかもしれません。

そうあるべきという主張が大半ではあると思います。

なにしろ22歳で先生と呼ばれるのですから、そこには猛烈なプレシャーを感じます。

一方、ださいところを見せてくれた先生もたくさんいたように記憶しています。

実は、そこから学んだこともはかり知れないものでした。