いつの間にか悪者に仕立て上げられてしまった

悪者扱い

日々顔を合わせて来た、同僚や知人達。ある時から、彼らの自分に対する見方や態度、評価が少し変わったように感じた経験を持つ人も多いと思います。そして、それが、どんどん大きく変化し、いつしか悪者に仕立て上げられてしまった人さえいることでしょう。

何か悪い事をしたわけでもないのに、なぜ?と疑問ばかりが残ります。まるで別世界に来てしまったかのような感覚ではないでしょうか。

悪者に仕立て上げられる

源頼朝とその弟義経の話は有名です。どのような史実が本当の事なのかわかりませんが、最終的に、義経は頼朝に追われる形になります。

義経が手柄を立てすぎたから嫉妬や脅威を感じたためとも言われていますが、何かのドラマでは、間に別な人間が入って、義経の悪い噂をしきりに頼朝に報告している様子が描かれていました。

そして、頼朝は次第に義経の事が信じられなくなっていくのでした。

電話もない時代の話ですから、頼朝と義経は直接やり取りすることはできないわけで、頼朝の側近の意思によって、微妙に情報は歪められてしまっていたのでしょう。(或いはもっと大きな力が働いて、歴史を動かそうとする意図の存在も感じられます。)

人間関係の中には、こんな風にして、ある人を悪者に仕立て上げられてしまうことがあるようです。

廃屋のような人間関係

廃屋(茨木のりこ)という詩を詠んだ方がいます。人が手入れをしない住居は直ぐに荒んで廃屋になっていくという詩です。内容は、著作権の関係から紹介していいものかわかりませんので書きませんが、その詩を読んで感じたのは、人間関係も近い所があるということでした。

また、下剋上とか、首を狙うなどという物騒な言葉がありますが、あれは戦国時代のことだけではなく、現代でも、我々の人間関係の中に生きているように思います。

虎視眈々と何かを狙っている人が、我々の周囲には必ずと言うほどいるのではないでしょうか。

そのため、あの人があんな事を言ってきたとか、何やら企んでいるようだ、はっき断っておこう、などと常に、意識する必要があるのです。それを止めてしまうと、たちまちに人が住まなくなった住居のような結末を迎えることになるかもしれません。

人がいなくなり放っておけば、猫でも、鳩でも好き放題に、住居の中を蹂躙するように、絶えず人間関係に注視しておかなければ、好き勝手に利用されてしまうかもしれません。

異世界に迷い込んでしまったかのよう

非常に怖い話になってしまいましたが、実際あちこちで、義経のような立場に追いやられている人は多いのではないかと想像しています。

まるでそれは別世界に迷い込んでしまったかのような感覚さえ思わせます。

自分自身の事ならば、守りを固められても、周囲の人を利用して巧みに攻撃を仕掛けてくるのですから大変なことです。ちょっとした友人同士の綻びを突いてくるかもしれません。仲の良いもの同士を戦わせるとは卑劣です。

日々の、一人一人との関係を大事にしておくことが肝要しょうか。元々の関係が強固なものならば、いつか目を覚ましてくれるかもしれません。