ブログ著者:臨床心理士 松田卓也

最終更新日:2025年10月18日

カウンセリングでは変化を強要せず、幅広い視野の中で対話する

自責

遠慮しがちである、とか、引っ込み思案であるなどと悩む場合、自分自身の在り方を良いこととは捉えていないからこそお悩みになられるのだと思います。

社会が、「積極的であれ」、とか、「外に出た方が良い」、などという風潮ですから、益々自分の在り方に自信がもてなくなってしまいそうな世の中でもあります。

ですが、本当に、遠慮しがちなことや引っ込み思案は良くないことなのでしょうか?

カウンセリングでは変化を強要するのではなく、幅広く対話を進める

温かい雰囲気

カウンセリングを学ぶと、受容や共感ということを知ることになります。カール・ロジャーズが提唱した、カウンセラーの態度は有名です。

これは単に、CLの語りをそのまま受け止めるということには留まらないことだと感じています。

そこには、現在の在り方や状態そのものを肯定するというニュアンスがあると言った方がより適切ではないでしょうか。(本質的には、もっと幅広く全存在の肯定などの表現になるでしょう。)

本当にそれは直さなければいけないのかも含めた検討を

時に、「こんな自分を変えなくてはいけない」、「直していかなくてはならない」という思いから、カウンセリングを決意される方もいると思います。

その決意や何と自分自身への否定感など、これらのお気持ちをお伺いすることも一つの役目であると思います。

そしてもう一つには、カウンセラーがその人の元々の状態や在り方を無理に変えようとする態度は、やはり、その人を否定していることに繋がるのではないかとも思うのです。

カウンセリングでは、こうした点も含めて話を進めて行きたいと思っています。

面接を進める中で、実はその人の持ち味がそこに見つかったり、現在の状態を取っている意味が浮かび上がってくることもあります。(雨の日には傘を差すという事ぐらいに、ごく自然なことに近いと思います。)

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ここぞとばかりに責め立てられることがある

人間社会にはいろいろな思惑が渦巻いています。
普段は口にしないことが、何かのタイミングで襲い掛かってくることもあります。
それは例えば何かの失敗をした時です。
  • 「やっぱり君のやりかたは何か違うと感じてたんだ。これからは改めてもらうぞ!」
  • 「結局いつまでたっても就職しないじゃないか!」
  • 「だから私の言うとおりにするべきだといったんだ。君は人の意見を聞こうとしない」

などとこんな具合にです。前々からちくちく言っていた人だからということもありますが、中には有効、好意的な態度を示していた人であっても掌を反すように豹変することがあります。

こんなとき、その勢いや罪悪感にひっぱられるかのように。
<私がすべて間違ってました>
などと自分を肯定できなくなってしまうことがあるのです。
そして誰かにカウンセリングに行って反省してこいなどと言われているかもしれないのです。
しかし、カウンセリングはその人の在り方を尊重する場であって、責め立てる場ではありません。

それに周りがみんな同じ意見でも、何かを見落とすことはよくあるものです。

実は成功しているのに失敗とみなしていることもあります。

カウンセリングにおける変化とは

自分の在り方に疑問を持った人が、カウンセリングを継続していくと何が起きるのでしょう。

変化するということは、やはり良くなかったことを改め修正していくということなのでしょうか?

実感的には、やはり何かが改められるというよりは、よりその人らしくなっていく過程と言う方が近いと思います。

心情的には、「やっぱりこれでいいのだ」、「意味があるのだ」、というお気持ちが表れてくることもあるものと思っています。

せいぜい、「A」だった事柄が、「A´」になるというようなもので、もともとの在り方は大切にされたままの変化と言えるのではないでしょうか。現実場面でもその方がうまくいくか、問題視していたことが気にならないなどの変化もあるようです。

積極的が良い、などという世間の語りに捕らわれない、自由な発想の中で面接を進めたいと思っています。

そしてこのような対話は安全な雰囲気の中で行われるべきものであり、力業で無理やり進めるものではありません。
これがカウンセリングにおいてプライバシーが重要視されている理由でもあります。
プライバシーに限らず、安全のために様々な配慮・工夫をこらそうとする存在が心理カウンセラーの大きな役なのです。

まとめ

今の自分を変えなければならないという切実な思いを抱えてカウンセリングにお越しになられる方もあるでしょう。

もちろん、そうした思いも無視できることではありません。

時には、様々な対話を重ねる中で、新たな視点が見出されることもあります。

言葉にこだわるのであれば、「よりよい」と表現することがあります。

かといってそれを強いるものでもないことはやはり最後にくどいようですが添えておきたいと思います。