政府が発表する資料の中には、自分自身の生き方と関連するような、興味深い内容を時々見かけます。そしてそれらを目にするときには、一方で、焦りを感じたり、プレッシャーを伴うこともあるのではないでしょうか。
カウンセリングでも、常々自分自身ではどうか?などと問いかけているわけですが、どうしても世間の動向は気になってしまうものです。
多数派が正しいとは限らないとわかっていても・・・
例えば、結婚、未婚に関する年代別のデータがあったらどうでしょう。結婚している人の平均年齢を既に越えていたりしたら、内心穏やかではいられなくこともあると思います。
しかし、自分には自分の生き方というものがあったり、あるいはなかったりで、平均に合わせることが良い事とも思えず、ただただ疑問や迷いが漂うということの方が現実に近いのではないでしょうか。生き方がわからない、と感じることすらあるでしょう。
多くの場合、多数派と違うことをしている場合、自分はこれで良いのだろうかという迷いが生じてくるように思います。データとはこのような特徴ももっていると思います。また、案外データを見る時の視点が偏ってしまうこともあります。
例えば、自分の職業が全体の職業の何パーセントかということを知らずに、結婚の平均年齢ばかり見てしまいますが、場合によっては、職業によって、平均結婚年齢が変動することは十分に考えられます。データから生き方を考えようとする場合には、こうした偏りに注意する必要があると思います。
標語的な文句やキャンペーンにも要注意
標語も厄介な事があります。
もしかしたら感じたことがあるかもしれませんが、大勢や時流が変わると、つい先月まで良しとされていたことが見事にひっくり返ることがあります。
例えばマイナンバーカードの取得についてはどうでしょう。
マイナポイント付与なるものが登場する前、マイナンバーカードに懐疑的な意見がたくさんありました。
しかし、一気に取得率が伸びました。
すると、こんなことを言い出す人がいます。
朝ドラで名言が発せられた!
朝のNHKドラマ「虎と翼」に家庭裁判所の父がモデルとなっている多岐川さんという人物がいます。
正式な文言は忘れてしまいましたが、「法律は人を縛るために存在するのではない。幸せになるために存在するのだ」という趣旨の事を言っています。
この場合、法律でそうなっているのだから、そう在るべき、そうすべきということではなく、本当にそれが幸福につながるのか?とよく検討することの重要性を指摘しています。
いつでも、「本質は何か?」という態度を肝に据えておきたいものです。
「勝てば官軍」などという言葉さえある位ですから、時流によって善悪が入れ替わる様は昔から経験されてきたものなのでしょう。
「事業仕分け」は最近どうなったのか、ゆとり教育とは何だったのか、散々クローズアップされたことも時の彼方に朧気になっていくようであります。
時流の変化をひたすら待つ戦略があっても良いでしょう。
昨今では、あんぱんで「逆転しない正義」がテーマになっています。
なんかおかしい・・・変だ・・・
違和感という表現があります。
この感覚も、異変を察知することに役立ちます。
「いやだな」でも良いでしょう。この方がよりはっきりした危機感を表しています。
閾値がある

これは心理学的な話ですが、「閾値」と呼ばれる概念があります。
例えば、行列のできるラーメン屋と言いますが、何人並んだら並びたくなるでしょう。
5人でしょうか、10人でしょうか。はたまた50人並んでいたらどうでしょう。
これには、あるポイントがあるとされています。それが閾値なのです。
マイナンバーカードも閾値を超えて、一斉にそちらに動きはじめたのかもしれません。
冗談のような話ですが、行列のできる××屋さんは地元のお客さんは絶対寄り付かない店だったそうです。行列を作ったのはインターネットで評判高い店と知った人達ばかりだったのです。
一体何に行列を作っていたのでしょう。
カウンセリングの研修には、山の中で行われるエンカウンターグループがある
カウンセリングにおいて、個々の考えや思いは非常に重要な意味を持ちます。
先に述べてきたように、世間では様々な常識や観念、流行りが飛び交っているため、個々の思いに焦点化すること自体が少ないという状況があるからこそ、カウンセリングの意義がやはりあることに気づきます。
ところで、カウンセリングの研修に、エンカウンターグループと呼ばれる方法があります。
これは、山籠もりのようにどこか郊外の宿泊施設で連泊で行われるような形式のものです。
山奥とか、人里離れた、あるいは連泊というところも一つの醍醐味であり、つまり世間から離れた場所で自らと、あるいは他社の考えに触れる経験になります。
はじめは世間よりの話になったとしても連泊ですから、段々とカウンセリングの研修にふさわしいような雰囲気になっていくわけです。
カウンセリング自体も、この研修のような性質を備えており、忙しく流れる職場や家庭から一時的にでも離れて、小一時間カウンセラーとの対話をするという特殊な時間なのです。
自分の思いがわからなくなったとき、確認をつけたくなった時に活用するのも一つのタイミングだと思います。
公認心理師の国家試験に出題されたカウンセリングに関する設問の正答率(非公式)の中には20%を切るものもあった
ここで、もう一つ触れておきますが、国家試験などの自己採点を集計するば設問ごとに正答率が示されます。もちろんこれは正式な数値ではないのですが、顕著に正答率に差が表れることがあります。
つまり、ほとんどの人が間違わない問題もあれば、ほとんどの人が間違える問題が必ず含まれているのです。
試験の構成からして、多少は難問を混ぜなければならないのは当然のことなのですが、とにかく注目したいのは選択肢別のパーセンテージです。
これは当然Aだろう!常識だ。という答えに70%が回答します。しかしそれは間違いだったのです。
答えは、Dの15.2%の受験者しか選択しなかった選択肢だったりするわけです。(数値は正確なものではありません)
単なるひっかけ問題、難問、奇問ということもありますが、本質をついている場合があります。
つまりは、多数派が間違えた良い例ということにならないでしょうか。これは公認心理師試験に限った話ではないはずです。
- 関連ページ:公認心理師登録者数の推移
ミルグラムの電気ショック実験が物語るもの

これは多数派がということではありませんが、しかし通じるところのある話なので触れておきたいと思います。
恐ろしい実験なのですが、本当に行われたものです。詳細は、日本心理学会の該当ページをご参照ください。
この実験では、大丈夫だ、大丈夫だと言われて、電気ショック(疑似装置です)を被験者に与え続けるというものでした。なんと、65%の人が450Vまで電圧を上げたということです。
この感じは、日本が戦争に向かった時のことを思い出させました。
まとめ
こんな世間の中で独り抗うのは大変な事です。抗えば目立つことにもなり、変わり者と見なされることもあります。別にそれでも良いのですが、潜むように紛れ込んで目立たなくなるのも一つです。その場合、自分の中で、自分の意志を保って置ければ良いわけです。
世間の考えと自分の考えとを分離する、こんな気持ちの整理の仕方もあるでしょう。


