最終更新日 2024年11月13日
少し遠回しなお話になりますが、青衣の女人のエピソードには、カウンセリングを思わせるような展開があります。
心理面接とは何か?と問われると非常に説明しにくいものですので、時には何かのエピソードの力を借りて説明することは悪い事ではないと思います。
青衣の女人とカウンセリングのどこに関連性を見出せるのか
決して詳しく、正確に知っているわけではありませんがエピソードを概説すると、これは奈良、東大寺でのお話です。
東大寺には、修二会(しゅにえ)と呼ばれる、宗教行事があり、既に1260年程途切れることなく催されているそうです。非常にスケールの大きい話です。
修二会については、かつてNHKのドキュメント番組が放映されていました。現在でも、毎年3月頃になると、新聞やニュースにお水取り(おみずとり)の様子を見かけます。
NHKドキュメントを見た際の記憶では、何か非常に厳しい修業が行われているように見受けられました。
質素な食事に、五体投地などを見た記憶があります。修二会は、十一面観世音菩薩に懺悔し五穀豊穣などを祈る目的があるそうです。
過去帳の読み上げ
さて、この修二会の中で過去帳を読み上げる時間が訪れるのですが、青衣の女人の話は過去帳に関係する内容です。
- 過去帳とは:聞き慣れない言葉だと思います。東大寺に縁のある人の名前が記されているのだそうです。源頼朝などの名前も入っており、総勢は、一体どれくらいになるのでしょう。大工さんの名前なども入っているようです。
この過去帳を、一人一人読み上げてゆくのだそうです。気が遠くなりそうであります。(まさか、全員は読み上げないのだと思います。どうなのでしょう。)
鎌倉時代の修二会で、集慶という僧が過去帳を読み上げていると、青い衣を着た女性が現れたというのです。
※イラストは誇張したイメージです。般若の面の描写はありません。その後のイラストも同様です。
もちろんこの世の人のようではなく、誰ともわからない人です。この女性が、「何故私を読み落としたのか」とうらめしそうに僧に問うたと言います。
僧は咄嗟に「青衣の女人!」と低い声で言ったのです。
するとその青い衣の女性は、すーっと消えて行ったというのです。
あたかもカウンセリングを思わせる僧の一言
青衣の女人が一どのような気持ちだったのか、それは推測しかできません。一人だけ名前を読まれない悔しさでしょうか。歴史の闇に葬られたような深い事情があり、過去帳に記載されなかったのかもしれません。無念や怒りがあったのかもしれません。
ましてや、女人結界との関係も考えると尚更に想像は膨らんでゆきます。ラブロマンスでもひょっとして隠されていたのでしょうか。
それらが全くなかったことにされてしまうのは、非常にいたたまれません。
存在を認め、肯定した
この僧が咄嗟に「青衣の女人!」と言った言葉は、その女性の存在が確かにあったことを認め、肯定したことになります。仮に「お引き取り下さい」とか、「どなたですか?」などと言ったなら青衣の女人はどうしていたことでしょう。
心理面接において、怒りや悲しみがテーマに上ることは少なくありません。「いつまでも怒っていないで」とか「泣いていないで前に進まなくてはいけない」、などと世間は割と簡単に口にするものです。
しかしながら、怒りや悲しみは軽視・無視されるべきなのでしょうか。少なくとも、十分に怒ったり、悲しむ時間は否定されるべきではないと思います。十分に悲しんだからこそ人は、次の事に気持ちを進めることができるとも言えるのではないでしょうか。
青衣の女人がすーっと消えて行ったのも、もしかしたらそんな気持ちの変化があったからなのかもしれません。今では、はっきりと、過去帳に「青衣の女人」と記されているそうです。
まとめ
独自の切り口で、カウンセリングの一面に触れてみました。
まさに言葉にしたように、これは一面でしかありません。
青衣の女人のエピソードでは、様々な思いが「浄化」されていくようなイメージですが、別な場合には、例えば怒りを身に纏って生き続けるという展開もあるわけです。
これは浄化ではなく、様々なものが混ざり込んで存在を成していくということを肯定するということです。いずれにしても、そこには存在の肯定というキーワードが垣間見えます。