歩きスマホを見ているとイライラしてしまうことがある

駅のホームすれすれ

最終更新日 2025年4月3日

最近ようやく歩きスマホが社会的に注目されるようになってきました。

中には条例化した区もあります。

参考サイト:足立区

歩きスマホはなぜ人をイライラさせるのか

禁止!

条例化は様々な議論を呼んだようです。

素朴な所で、個人個人何か見ているだけでイライラした経験を持つ人は多いと思います。

ある青年のフィクション

青年は、別に急いでいるわけでもなく駅ナカを歩いていました。

駅には多くの人が往来しており、少し気を抜くと誰かにぶつかってしまいそうでした。

杖をついている方もいれば、ベビーカーを押す方もいます。

青年はいっそう気をひきしめて歩くのでした。

ところが階段を上ろうとすると、何か前の人がゆっくりとしていてまるで進みません。

杖をついているわけでもなく、若い方です。

どうやら歩きながらスマートフォンを操作していたようです。

その人は青年の存在には気づかず、とにかくゆっくりふらふらと階段を上るのでした。

階段を上る動きは予測不能

青年は左側から追い越そうとしましたが、なぜかタイミングよくふらふらっと左に体が傾き道をふさがれるのでした。

青年はついに「危ないじゃないか!」と怒ってしまったのです。

しかし、若者はその声にも気づかず、ふらふらとゆっくり階段を上るのでした。

回想:青年はなぜイライラしたのか

よくありそうな日常場面です。

ですがイライラする人は少なくはないと思います。

この場合、「危ないじゃないか!」というセリフそのもののように思います。余りに身勝手という憤りが感じられる一言です。

青年はもしぶつかってしまったとしても大事にはならないでしょう。しかし、ベビーカーや杖をついている方にとってはどうでしょう。

ましてや階段ですから大惨事になるかもしれません。

これは、回転寿司の話とはまた違う意味をもつエピソードです。

このような場合、ある種、怒りを覚えられる人の存在は社会において貴重となります。しかし、抗議したことにより逆に暴行を加えられるような別件もあり、葛藤を生むテーマでもあります。

参考サイト:東京消防庁タイトル

歩きスマホ等に係る事故に注意!

誰がこんな世の中にしたんだ、俺は望んでいないぞ!

もしかすると、現代文明への怒りを背景にイライラしてしまうのかもしれないと思っています。

辺りを見渡せば、皆スマホを片手に歩いています。

こんな世の中は嫌だ!とそんな怒りを覚えている方もいるはずです。

人間への関心、ないしは目の前の人への関心が薄れている?ということなのでしょうか。

その他の要因

この青年の場合は上記のようなことだったとしても、他にもいろいろなことが挙げられます。

他のストレスが積み重なっていた

例えば、ながらスマホが問題になる一つの舞台は駅です。

駅と言う場所は、ストレスの集積所のように様々な人が集まる場所です。また、電車そのものが大きなストレスを生み出している面もあります。

そのストレスの最後の止めが歩きスマホだったのかもしれません。

普段であれば気にならないという人はそれにあたるでしょう。

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もう乗りたくない。通勤電車は現代人を追い詰めるストレスの代表格

自分自身が脱スマホを志している最中だった

昨今、スマホ絶ちを志す人がいると聞きます。

スマホを使用しなくなるのではなく、不要時はカバンにしまっておくなどの使い方をしている人です。

このような人にとっては、自分と対極的な存在に思うところが出てくるはずです。

焦る思いを掻き立てられる

他者がなにかに勤しんでいる姿は時に人を刺激します。

例えそれが歩きスマホであってもあり得ることだと思います。

つまり、何かにその人が成果を出そうと焦っている時などに優雅にふらふらスマホをいじっている人が快くは受け入れられなくなるという事です。

もちろん、歩きスマホを受け入れる必要はありませんが、余裕のない時は尚更にということになるでしょう。これは集積したストレスの話とも近いことです。

急いでいる時

遅刻しそう

これも似たような話ですが、数分の差で遅刻するかもしれないときに気持ちは非常に焦ります。5秒でも無駄にできないと電車の中では前に出て扉の前で待機するでしょう。階段もスムーズに上りたいところです。

そんなとき、涼しげな顔をしてまるで周囲を気にしないスマホユーザーがいたら憎たらしく見えてくるのではないでしょうか。

これは逆の話も成り立ちます。

電車はどうせ早くはつかないのに、気持ちがせかせかしているためか、扉の前をうろついて険しい表情をする人を見かけるものです。

こんなとき、時間通りに移動できている人たちは「あの人せかせかしててなんか嫌だわ。こっちまでイライラしちゃう」などと思っている可能性があります。

やはり、色々な意味での「ゆとり」が必要なのでしょうか。

因みにですが、カウンセリングに遅刻しそうになっても無理はなさらないでください。転んだりするのは大変な事です。

いっそ世の中に抗ってスマホを辞めたい

とんかち

現代社会に納得の行っていない方は数知れずいらっしゃることと思います。

例えばいつの間にか皆スマホを手にして歩く世の中になりました。

もう、ガラパゴス携帯を作ってはもらえないのでしょうか。

個人の意思でスマホ自体をやめることは、可能だと思っています。

しかし、この現代社会においてスマホを失うことは致命的な結果を招く可能性があり、そのためやめられないということもあるでしょう。

スマホ前提の社会設計が猛烈に進んでいます。

ごちゃごちゃ言っていると、スマホでやればいいじゃん!と怒られそうです。

スマホは生活必需品になっている

スマホ使用者率

引用元:第1部 特集 デジタルで支える暮らしと経済 総務省MIC

上のグラフは、インターネット利用端末の種類です。スマホがパソコンを追い抜いています。

もはやスマホなしには、就職活動やアルバイトにも応募が困難な状況です。

手書きの履歴書に拘っていた人事の人達は、今どのように言っているのでしょうか。

まずINDEEDに登録せよなどという指示を受けることもあれば、エンゲージメントから問い合わせてくださいと指定があるのです。

電話問合せには応じない会社も現れた

いつの間にか、直接の電話問合せは第一手段として見なされなくなっています。

むしろ電話をするといぶかしがられることさえあります。WEBからお願いしますなどと冷たくされてしまうのです。

さらには、そもそも電話が通じません。30分コールを鳴らしても問い合わせ窓口は多忙との理由で担当者につながらないのです。

そして、スマホを使った問い合わせフォームへと案内されるのです。

ガラパゴス携帯では戦えない

ガラケー

ガラパゴス携帯でも、通信は可能ですがその速度が断然違います。

スマホは、「多機能パソコン」なのです。

固定電話では使えないサービスもある

現代社会においては、最終的に固定電話では用をなせないことがあります。

先方からは、あたかもお手軽さを演出するかのようにスマホで写真を撮って送るよう指示されたり、これはガラパゴスでも可能かもしれませんがSMS認証などという方法が流行っています。

カメラなんか使わない

そもそも、カメラなど持ち歩くことはありませんでしたし、あっても頻繁に取りません。

単なるスマホの付属品をどうして当然視するのでしょう。

カメラ機能が壊れている、ない人はサービスを受けられないわけです。

スマホをやめる対策

このような世の中になった以上、概ね諦めるしかない面がたくさんあるものです。

最後まで抗うのもかっこいいのですが、おそらく迷惑がられるのが落ちでしょう。

また最終的には、人手不足とか、省エネなどと、心にもない事を平然と言われ説教を受けることになります。

この社会においては、人と違うことをすると潰される傾向があるのは事実です。

また様々な事情でスマホを常用せざるを得ないことがあることを知っています。決してそのことまでやめようなどと言っているのではありません。情報技術の正の面があることを熟知しています。

スマホの扱い方を工夫する

結論としては、スマホの扱い方を工夫するところに答えを見出したいと思います。

全てを合わせる必要はないのです。必要最小限に留める方向を模索したいと思います。

ガラパゴスはなくなるがガラホがある

ガラパゴススタイルの携帯スタイルを維持できれば、ここまでスマホに没入することもなかったでしょうか。

一応、「ガラホ」などものがあります。これは機能はスマホで、デザインがガラパゴス携帯なのです。

LINEはまだ拒否できるか?いやかなり厳しい

まず、LINEはどうでしょう。日本国民の間では相当のシェア率だと聞きます。LINEユーザーに非ずんば人に非ずなどとのたまっている人もいるのでしょう。決して許すことはできません。

拒否してもなんとかなるかもしれませんが、ほぼ無理な状況に追い込まれています。

一筋の光明にすがるなら、流行りと廃れです。

FACEBOOKなどは、2015年頃から知人らの間で、「もうパスワードも忘れたわ」などと言う人が増えました。

勝手に載せられた写真は、パスワードを忘れられたことで削除することもできなくなってしまったのですが、その点は皆しらばっくれているだけです。どう責任を取るのでしょう。

LINEについては、メールのように活用するのはどうでしょう。通知が来ますが、それを確認する時間を決めて使うのです。早くしろなどと言う人もあるでしょうが、そんなに急ぎなら電話してくれば良いと思います。

スマホはカバンにしまう

電車に乗った途端スマホを操作します。いや、もっと以前から、そう電車待ちの際にスマホを見てそのまま電車に乗り込むのです。危険で仕方ありません。

業務利用という事なら、勤務時間中はやむを得ずとも、それ以外の時間はカバンに閉まってさほど問題ないのではないかとおもうところです。

急用なら自宅の留守番電話にメッセージを入れるか何か手段があるでしょう。

おそらく子供との通信手段としている場合が難しいところなのだと思います。

自宅では黒電話のように扱う

サザエさん宅スタイル

自宅に着いたらスマホは直ぐに所定の場所に収めます。

なるべく、玄関とか、部屋の端の方などとしていちいち使用が面倒にしておくのがポイントになります。

手を伸ばせばすぐ使える距離ではお手軽すぎるのです。

教育上もそのようにしておけば、子供たちはそれを基本とした使用になるのではないでしょうか。

試しに追い込んでみる

ある素敵な作曲した方の話では、「あの曲を作る際には相当に自分を追い込んだ」ということでした。

つまり、極限まで物を減らし、曲作りに専念したというのです。

あるから使ってしまう、という発想に基づけば、なければないで別なものに意識が向くのではないでしょうか。

もし社会人一人暮らしで、部屋に1冊の本しかない生活だったら、その本を何度も読むと思います。

ですが、スマホを手に入れると、その本はもう決して読まれることはありません。

思い出は心に刻み、体験は友人や家族に三度話す

カメラ機能を使うことにより、全てを記録できるようになりました。

確かにどうしても写真に収めたい風景もあります。それはそれとしても、心に刻むのではだめなのでしょうか。

写真はそのまま変わりませんが、思い出に刻んだその風景は、次第に美しさを増していくことさえあります。そんなロマンを取り戻すのはどうでしょう。

そして、誰かに見せたい風景だったなら、ありったけのたくさんの思いを添えて、伝えてみてはどうなのでしょう。

まとめ

現代社会に抗うことは本当に大変な事です。

しかし、抗わなければならないこともあると思っています。

そうでなければいつの間にか、スマホにより、何かを既に奪われ、失っている可能性があるのです。

時間というゆとりの他、経済的ゆとりも人の気持ちと関係してこないでしょうか。