最終更新日 2025年4月12日
時代劇を観ていると、「わたりちゅうげん」という言葉を時々耳にします。
漢字にすると、「渡り中間」です。
どういう意味なのかと興味を持って調べてみると、現代で言うところの非常勤に近い働き方の人の事を指していました。
正確なことは素人故わかりませんが、江戸時代の武家奉公人の中に、中間と呼ばれる人がいて、そしてどこかの武家専属でなく、渡り歩くということで渡り中間ということのようでした。
渡り中元は非常勤のような者?
1年契約などの形をとっていたとしたら、現代の非常勤職とやはり似ています。
中には、口入屋を経由する場合もあるようで、つまりは派遣社員のようなイメージで良いのでしょうか。(労働問題の歴史的経緯を学ぶにはこのくらい遡って勉強するべきではないかと思いました。様々なことを思わずには入られないことではないか、とお感じになられるのではないでしょうか)
これは現代社会でもありそうな話ですが、複数の武家に奉公した経験のある中間の人は、どこの藩の武家などによって様々な違いを感じていたのではないでしょうか。
あのお屋敷ではこう振る舞わなければいけないが、あちらの武家屋敷ではああしなくては・・・などというようにです。
あたかも、会社によって使用しているパソコンのバージョンやソフトが違うかのようで、同じような戸惑いを感じる方がいることでしょう。
アメリカは超大企業が数社あり、ほとんどの人がそこに属すると聞きます。
日本の場合は、まさに八百万とか言うように、400万件くらいの中小企業(それから小規模事業者)があるのではなかったでしょうか。そして別々の給与明細を発行するわけですから非常にバラエティに富んでいます。
※ついに渡り中間を発見しました。「ぶらり信兵衛道場破り 第15話」の3:58頃をご覧ください。若き谷啓さんが自分はどこかの口入屋に世話になっている渡り中間だと名乗っています。
この後、浪人の高橋英樹さんの中間になっています。浪人の中間と言うのはかなりイレギュラーな設定ですが、とにかく渡り中間を名乗っています。
しかしながら、無料期間は終了してしまいました。
時代劇を観ていると仕事をしょっちゅう変えている人がいる
現代社会では、フリーランスのような働き方が増えてきているとは言えども、まだまだ正規雇用が一番であるという考え方は根強いようです。
これはもしかすると武家の発想なのかもしれません。時代劇では、仕官の先を見つけてさまよう浪人が多数登場します。中には袖の下を包み仕官先を探そうとする者もいれば、その思いを巧みに利用する悪徳代官などもよく登場します。
仕官先がない浪人は傘など作って生計を立てていました。
一方、頻繁に仕事変えている浪人も見受けられます。先ほどまでは誰かの用心棒をやっていたかと思えば、次は工事現場の作業員のような仕事についています。
現代ほどに、「定職」という在り方は庶民の間では一般的ではなかったのかもしれません。
仕事を辞めて良いのか迷う現代人は多いものですが、それは武家の常識だったのかもしれません。
まとめ
江戸時代にも仕事に悩む人はいたのでしょうか。
それは人間の営みですから、きっと我々と似たような悩みやストレスに直面することがあったのでしょう。
しかしながら、どこかかつてと違うのは働くことの楽しさという点のように最近感じています。
いやいや昔からそうだ、むしろもっとひどかったという現実はあるにしても、現代人にも思うところはたくさんるものです。
仕事観が変わっているという視点も一つですし、いや、そうではなく仕事の醍醐味が失われつつあるのでは?という視点も成り立つのではないでしょうか。
自分でこねて焼いて作ったあんぱんが売れてゆく様を見て、そんな風に感じる方もあるかもしれません。
カウンセリングの一テーマにもなりそうなところです。
そう捉えたならば、仕事を辞めたい・変えたいということ以上に、楽しく生き生き働きたいという気持ちの存在があることも垣間見えてきます。
これは単に残業を減らすとか、福利厚生を整えることでは得られるものではないでしょう。
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