最終更新日 2025年4月23日
「リラックス」とは、「どこ」がするものなのか、これを厳密に意識している人は少ないものです。
我々が「リラックスした~」と言う時、それは、何をもってそう言っているのでしょう。
精神的にリラックスするには、体の緊張を弛める
※ある観点からするとというお話になります。
心身一元論なる考え方がありますが、一つには体の緊張が弛むと「リラックス」に繋がることがあります。
「気持をちをリラックスして!」という言葉は日常でよく聞くものですが、その実態はよくわかりません。
そもそも、「リラックス」がどのような状態を指すのかも日常用語レベルでは定義がありません。
深呼吸
「リラックスして!」に続いてよく登場する言葉は、「深呼吸して!」ではないでしょうか。
この場合、深呼吸は気持ちをリラックスするために行われているわけですが、深呼吸とは体の緊張をやわらげる作用がある訳ですから、いつの間にか、体のことに自然と置き換えられているのです。
しかし、とにかく深呼吸すれば誰しもがいつでもリラックスできるわけではありません。
「体と心」どっちが先?
「いや、体には何もしていないけれど、確かにリラックスしていた!」と主張する方はいることでしょう。
例えば、音楽を聴いていたら、ついうとうと眠ってしまう事があるように、これは確かにリラックスしていそうです。
心地の良い音楽を聴いているとリラックス度は深まるはずです。
他にも、誰かのホッとするような話を聞いた時、何か肩の荷が落ちたように力みが消えることがあります。この場合、気持ちが弛んだから体も弛んだという順番のように見えます。
綺麗な花を見た時、その匂いに触れた時などななど・・・リラックスしたと思われる場面をもっとたくさん挙げることも可能でしょう。
これらの際の、「体の感じ」はいかがなものだったのか、これは聞いてみない事にはわかりません。もしかすると、この場合にも体の感じに変化が起きているのかもしれません。
「心」と「体」どっちが先なのか?などと疑問は深まります。体はわかるけど、心はどこに存在するの?などと疑問の嵐が起きそうです。
緊張を捉えるには
我々はストレスをどのように把握したら良いのでしょう。 ストレスを受けた時の、からだの感じに注目することが一つの方法になるのではないかと考える立場もあります。
「緊張する」という言葉も日常生活でよく耳にしますが、それでは、どの辺が緊張しているのでしょう。「どこが緊張しているの?」という問いかけは日常生活上ではあまり耳にしません。
緊張と言うと、気持ちがとか、全体的にとか、あるいは言葉にならずということがほとんどでしょう。 ですが、このことに意識を向けてみると、それは体が緊張しているのではないかと考えることもできます。
からだの各所の緊張
肩の緊張マッサージなどの経験がある人は、肩が凝っているとか、今日は腰が疲れているなどということに意識を向ける機会もあると思います。これも緊張と考えられるわけですが、この場合、肩や腰に緊張(筋緊張)があるわけです。
マッサージの場合、通常うつぶせで開始し、足から首辺りまでをほぐしてくださいます。
また、時に、頭までということもあるでしょう。漸進的筋弛緩法では、顔にも注目していますので、緊張は、体の各所に起こり得るものではないかと考えられるわけです。 一般に肩あたりの緊張は意識されやすい方であると思います。
肩が凝るという言葉は聞いても、背中が凝るという人はなかなか聞きません。 しかし、背も凝るようなのです。もしかしたら、わかりにくいため意識にはのぼらないかもしれませんが、肩が一番凝っているように感じる場合にも、実は背中の方がもっと凝っているなどということも可能性としてはあるでしょう。
さて、分かりにくいかもしれませんが、緊張が想定されやすい部位を、図にしました。
- 首・肩周囲:肩凝りがある人は、納得が行くのではないでしょうか。首や肩の凝りが慢性化していくと頭痛が出ることもあるようです。
- 腰回りや背:腰が疲れたと、時々耳にするセリフではあります。ずっと体を支えているのですから、負担は大きそうです。
- 手:案外手先までこわばっています。パソコンの連続使用の後など気にしてみるとわかります。
- 足:足は、まさに人の体全部を支えていますので、もしかするともっとも負担が強いのでしょうか。緊張したとき、足ががくがくした経験を持つ人は多いと思います。
- その他:あまり意識できない場所ですが、その他、顔周囲も気になります。目の疲れを感じる人は多いでしょう。
肩周りを例に
さて、肩周りを例に、もう少しこの緊張に意識を向けてみたいと思います。
そもそも、肩辺りに意識を向ける機会が、我々の生活にはどれくらいあるでしょうか。
例えば、重いショルダーバックなどに辟易としてきた時など、肩の負担を感じる事になります。
肩周りというのは、様々なストレスを受けているようでもあります。肩周りは、自分の目で確認することは少し難しい部位です。
自分の体であるにも関わらずです。
鏡を使えば、正面の肩はよく確認できます。
案外、確認してみると想像とは違っていることもあります。
肩はどんな感じがする
肩に覚える感じは、例えば「重い」があります。杭を打たれた感じなどという表現もあります。音にすれば、ズシーンとかピシッという感じです。
この写真の女性の場合は、姿勢が地面に押されるような感じになっています。ズシーンと来ているのかもしれません。何か重い物を持ったためという様子でありません。やはりパソコンなどの疲れやストレスでしょうか?
逆に、どこに肩が存在するのかわからないこともあります。
ストレスは心身に様々な変化を生むことがあります。時には、肩が凝るというようなこともあります。(ストレス以外の要因でも肩は凝ります)
※一概に全部ストレスと言ってしまうことは非常に危険なことです。不調を感じた際に、医療機関を受診することや、定期的な検診を受けることは健康管理上大事なことです。
例えば満員電車で持ちこたえ続けたら・・・
満員電車の場合、もし座席に座れたとしても、乗車率によっては肩をすぼめて、申し訳なさそうに座っていけなければならないこともあります。一駅や二駅のことであればまだしも、10分も20分もそんな状況が続いたら、徐々に体のあちこちに力が入っていくことでしょう。
これは体のことのようにも心理的ストレスようにも、どちらにも受け取れそうな状況です。電車の中で人は戦闘状態のようでもあります。この場合、交感神経が優位になり体には力が入っています。
- 関連ページ:現代人は交感神経優位になりがち
背中が一枚岩になったら、もうどこが凝っているのか難しい
次は背中に注目します。
背中が一枚岩のようになっている、という表現をよく聞きます。
我々の背中は、通常、肩甲骨や肩、首辺りに意識を別々に向けたり、多少動かすことができます。
しかし、一枚岩のようだという場合、それらの境界線がはっきりしなくなったり、肩甲骨が埋もれてしまっているような感覚なのでしょう。つまり、その周囲には慢性的な緊張の存在が推測されます。
この背景にストレスが存在することもあります。肩にしても凝ってくると、肩たたき程度の力では、あまりピンとこないようになっていきます。中には、「もっと強くたたいてくれ」と言いすぎて、あとから痛みが出てしまうほどに、感覚がよくわからなくなってしまうことがあるようです。
一枚岩の状態とは、まさにこの様子に近く、肩甲骨周囲も、肩も首も、みんな緊張しているような状態なのではないでしょうか。
因みに一枚岩とは、下記サイトのような岩です。
このような折に、じっくりとリラックスし、背中の緊張が和らいでくると、自分の背中がいかに緊張していたかが理解されると思います。
しかし、そこに至るまでには、それほど自分の背中が緊張しているとはなかなか意識されないもののようであります。
変化した凝りの感覚
よくマッサージなどで、ここが凝ってますね、などと言われてもピンとこないことがないでしょうか。
マッサージをしてくださっている方からすると、非常に凝っていると感じられるのに、自分の方ではよくわからなかったり、もっと別な場所の方が凝っていると感じる場合です。
中には、マッサージして下さっている方の、セールストークなのではないかと疑う人さえいることでしょう。
この場合、当初の凝りの感覚から、別な感じへと変化しているとは考えられないでしょうか。
ずっと進んだり、広がったりすると、背中が凝っているのに、肩甲骨の辺りが気になったり、背中とは別な所が気になったりするもののようです。
凝っている感じはないけれども、実は凝っているということもあるようなのです。
せめて、凝りをほぐす時間はなくとも、凝りの感覚がどうなっているのか知っておけたらと思いますが、忙しい際には、その微妙な感覚をつかむことは尚更に難しいという1面もあるのではないでしょうか。
痣ができるほど強く押してもわからない
もう一つトピックとして挙げておくと、凝りがわからなくなっているような時に、マッサージで押してもらっても、満足感がないためか、もっと強く押してみて下さいと言ってしまうことがあります。
マッサージの方も、いつも押し加減を気にしているようですが、強めにやってもらっても全くピンと来ないことがあるものです。
その場合、どんどん押す強さが増してしまうと、内出血を起こすためか、痣ができてしまいます。つまりは、それほどまで強く押してもわからないほど凝っているという状況なのではないでしょうか?
このような場合は、常識程度以上には強く押してもらわず、色々な部位をまんべんなくほぐしていく方が安全ではないでしょうか。
早い段階でストレスをケアできたら良いのかもしれない
こう考えると、あまり後に回し過ぎると複雑化するようです。まだ大丈夫と感じていたときにほぐした方が経済的でもあると言えないでしょうか。
リラクゼーション法などのセルフケアを学び実践していくと、それなりに成果を実感できることがあります。
ここで、もう一つ問題となる事は、いつの間にかケアが後回しになっていくことです。
趣味でも勉強でも、近い経験を持つ方は多いと思います。
ケアのモチベーション維持には仲間がいたら良いこともある
セルフケアなのに、「仲間」というのは矛盾するでしょうか。
それはそれとして、ある程度モチベーションを維持するのに仲間がいた方がやり易いという方は多いのではないでしょうか。
もちろん、とにかく独りでという方が合っている方もいます。
NHKのラジオ体操を独りで続けることが出来るかどうか
ラジオ体操が丁度良いと思ってはじめた人は、そのモチベーションを維持できるでしょうか。
同じ時間にラジオをつけるなどの工夫は良いと思います。
集団の場に出て行く習慣が出来れば、続けやすい人もいるでしょう。
独りでもできる事なのに皆、敢えて集団で行っているように見えます。
それにしても、平然と行われてきたような催しであっても、そこには誰かの準備が必ずあるものです。そうした苦労に頭が下がる思いです。
定例会を活用する
もし、定例会のようなものが存在したらどうでしょう。
毎月第3木曜日の夜に参集するなどのやり方です。
これを一つの立派な予定として確保することで、セルフケアの時間を持続的に持つことが出来ます。
会費を500円などとするのも手です。
昨今は、ZOOMを活用した定例会もあるかと思います。
また、何かのワーク(例えばラジオ体操)をメインに据えなくとも、お茶会の一部にラジオ体操を組み込むという方法もあります。
これらの例は、一種のソーシャルサポートにもなっているのではないかと思います。
義務はやはり窮屈になる
ですが、義務としてしまうと、これはケアとかけ離れて行く可能性が強まっていきます。
このバランスは非常に難しい所です。
また、セルフケアに参集したい人でも、月1回が良いという人もいれば、2週に1回が良いと感じる人もいます。
月1の人が2回の方に引っ張られてしまうと、負担を覚えることになります。
この場合は、定例会を2つもつなどの工夫が必要になります。
また、定例会をもし開催するならグループ運営について勉強しておくことで安全な会とすることができるでしょう。そこには幾つかの工夫があるものです。
集団は煩わしくなることもあるのでその活用はまずかしい所ですが、時に大きな成果を生み出すものです。
これはレスパイトケアにも応用の効く話だと思います。
難しい事を考え出したらリラックスはできない
心と体どちらが先か?などと考え出すと、これはもはや「色即是空」・「空即是色」のような世界の話になってしまいます。
または、心理学ではジェームズ・ランゲ説やキャノン・バード仮説とつながるテーマです。
納得してからでないと、リラックスできないという方もあるかもしれませんが、何も手掛かりがない時に分かり易いのは、体から入るリラックスの方でしょうか。(実体を触って存在の確認がつくので)
臨床心理学的な方法では、体にアプローチすることがありますが、なぜそれが心理支援なのか?という疑問に対する一つの回答にもなるかと思います。
まとめ
実は、カウンセリングのセッションにおいてもこうしたリラックス法を取り入れることがあります。
その場合、「何らかの悩みや問題」ということについて話し合う、対話するとは別な事を行っているわけです。
しかしながら、リラックス法を通してそれらの悩みや問題についてのなんらかの変化や進展が起きることがあります。
第三者的には、ここは非常に不思議に感じられることと思います。
リラックスによって余裕が生まれたため・・・という説明も一つだとは思いますが、様々な議論が続いています。
これもまた、体へのアプローチが心理支援である由縁です。