ブログ著者:臨床心理士 松田卓也

最終更新日:2025年11月06日

人付き合いが苦手なのは悪い事なのか

人

人間関係を考える時、概ね世間は、積極的な交流こそが望ましいという考え方を持っているように感じます。

確かに、人との交流は素晴らしいものですが、それほど一辺倒に考えられるものでしょうか。

また、それを克服してからでないと社会に出られないという考え方にいたることもあるかもしれません。

人付き合いが苦手な人は肩身が狭い世の中

なんか微妙

人には、あまり人間関係を広げ過ぎない方が良いのではないかと思える時が存在すると感じることがあります。

人付き合いは苦手人との出会いは、色々な刺激を受けたり、多くの学びの機会になることがあります。

ですが、別な見方をすれば、外から入って来る情報が、混乱を生じさせるということもないでしょうか。

つまり、どの考え方ももっともらしく思えて、ある人に話を聞いては影響を受け、また別な人に話を聞けば、やはり納得するのです。

影響を受けた本人も気づいているかもしれませんが、それでも、人との交流をもつことが素晴らしいのだという、世間のプレッシャーを感じ、人と会い続けなければという思いに駆られることはありそうです。

人に疲れる

そもそも、人との交流に疲れることはないでしょうか。

交流が苦にならない人であれば、一人よりも疲れにくいのでしょうが、元々、人付き合いが苦手な方にとっては、不本意に交流を多くしてしまうと、相当な疲れを伴うことになることが想像されます。

これは、お酒が好きな人はたくさん飲んでもある程度までは気分が良く、弱い人はビール2,3杯でも頭痛がしてくることと似たような話に思えます。弱い人が無理に飲み続けたら、大変な体調不良を催すことになります。

人間の交流も、苦手な人が一度に多量の交流を持続したら、後から緊張や疲れでお腹や頭が痛くなったりするのではないでしょうか。

世間の言う事は勝手

休日に部屋にこもって本を読む。これを聞くだけで否定的な見解を示す人もいることでしょう。もっと外に出なさいと言うかもしれません。

休日くらい、その人らしい過ごし方をしていいではないかと感じますが、否定されるべき過ごし方なのでしょうか。

世間の価値観から離れたところで、自分がどのように過ごしたいかを意識することは、その人らしい生き方を探していくヒントになるのではないでしょうか。

最後に蛇足になりますが、子供の頃、「もっと本を読め」とか「勉強しろ」と言われた経験を持つ人は多いと思います。

本というのは、だいたい籠って一人で読むものです。一方、「少しは体を鍛えろ」、とか「天気がいいのだから表へ出ろ」などという言われかたも多数の人が経験している所だと思います。

その他、「一人で過ごせることが大人だよ」とか、「いつも仲良しこよしじゃだめだよ」とか、このような言い方も時に耳にします。

世間は、「人と交流しろ」とか、「本を読め」とか、ずっと勝手なことを言っているもののようです。

自分の世界を構築する→社会に出ていく

社会復帰を考える場合、やはり意識はとにかく就職、ないしは仕事に直接つながる何か、というところに凝縮することは当然のことです。

働くことを目指しているのですから、通常そう考えるものです。

なかなかそれが上手くいかないとき、これも同様に存在します。

この場合、一度に社会復帰ではななく、別なことに意識を向けることも役立つことがないでしょうか。

つまり、見出しにしたように、自分の世界の構築です。

冒頭の方で、人付き合いを克服しないと社会に出られないというような考えがあることに触れましたが、その場合下記のような順序を通常想定します。

人間関係を克服する→社会に出て人間関係を持てる

これを組み替えると、

自分の世界を構築する→人間関係が苦手な人もわりと集団でいられるようになる

こんな図式もあるものです。

これと近い構造が新生児にもみとることができました。

もし社会復帰を考えるような場合にも、この順番は生かせることがあります。

昨今、無駄なものが省かれる雰囲気がある

古典や漢文を廃止した方がいいという意見はこのところよく見聞きするようになりました。

また、博物館の廃止ということもありました。

概ね、何の意味があるのかわからない、お金の無駄、もっと他に優先して学ぶべきこと、投資すべきものがある、というような理屈でした。

ですが、これらに猛烈な違和感を抱く方がきっといると思っています。

これまでの話からして、世の中にたくさんあるよくわからないものこそ、その人その人の世界を豊かにする素材であったりすると考えています。

なぜ、数百年も前に作曲された楽譜を忠実に再現するように楽器を弾くのか・・・

それは「なんかいい」のです。現代の中に響きがそこにはあり、感性を刺激してくれるのです。

カウンセリングではこのような視点を織り交ぜて、人付き合いを捉えていく

そもそも人付き合いは好きにならなくても良いのではないか、というぐらいの幅をもった対話を心がけています。

いや、むしろ嫌いと認識すること自体が良好な人間関係を構築するとも言えます。

こういった表現はあまり日常的に用いられるものではありません。

また、本当に皆人付き合いが好きなのかどうかさえもわからないのです。

ウォークマン登場以降、どこを見ているのかわからない人が増えたよう、今はそれはスマホになり、誰と通信してるのかもわかりません。

まとめ

人付き合いに限らず世間は勝手な事をたくさん言って回っているようなものです。

一体何が真実であるか、本質であるか、或いは自分自身はどうありたいのか、これらを見極める力は育みたいものです。

カウンセリングとは、このようなことも含めて様々な対話を繰り返し、その人らしく進めていくものでもあります。