例えば、就職しないよりも、すぐに就職した方が良いという社会的観念があるとします。ですが、人によって考え方はことなり、しばらくの間就職から離れてみたいという人もいるものです。
カウンセラーはその人が真に望む方向へ進むことを期待している
このような時、カウンセラーは、どのような期待をその人に投げかけるでしょうか。
相談にお見えになる方は、少なくともカウンセリング以外の場で、何度も就職することを勧められたり説得、または説教を受けていることが想像されます。
カウンセラーの仕事は、相談にお見えになった人の話を、特定の価値観や考え方を押し付けず、傾聴していく基本的態度を備えています。
そして、自由に語れる時間を確保することで、相談者の中で考えがまとまっていくことがあります。
表面上の話ではない
例えば、就職しないと考えていた人も、就職をするという結果に結びつくこともあり得ると思います。
これは、ああでもないこうでもないとよくよく考えて行くと、就職した方が今の自分の心境や考えにより沿っているとお考えになったからでしょう。しかし、その考えははじめから意識されるものではありません。
カウンセリングをはじめる段階では、多くの迷いが混ざっているのではないでしょうか。そもそも、そうでなければカウンセリングの場に訪れる機会も少ないでしょう。
カウンセラーは初めから就職することを期待していたのではないか
ここで一つ疑問に思うことは、カウンセラーが何を期待して、相談者の話を聴いていたかという点です。なにしろはっきりしたことをずっと言わないのですから、何を考えているのかわかりません。
もしかしたら、カウンセラーもその人が就職することを期待していたのでしょうか。
カウンセラーは、このような展開もあり得るだろうと想像はするかもしれません。
しかし、どちらがその人にとって望んでいる事なのかそれは話を聴いてみないことにはわからないものです。
つまりカウンセラーは、就職するという社会的観念と同じことを期待していたのではなく、その人が進みたい方向を明確にすることを期待しているのです。これを抜きにしてカウンセラーが決めた方向に推し進めて行くようなことはしません。
ある人は、やはり就職しないという方向に気持ちを固めてカウンセリングを終えることもあると思います。
その他、期待していると誤解されているかもしれないこと
この態度は一貫している必要があると言えます。
では、カウンセリングにあまり行きたくはないと考えている人が、三回だけはということで来室した場合ならどうでしょう。
この場合、様々な展開はあるとは思いますが、無理に4回も5回もお越しになられることを期待するというのはCLの希望に沿っているかどうかあやしいところです。慎重な進め方が求められるでしょう。
とにかく一杯通ってもらうことが良い結果に繋がるとは限らず、その人のペースがあるのです。
このような場合には真に希望されている所がどうなのかが大事になります。
- 関連ページ:カウンセリングの頻度や回数について
「真に」とはどういう意味なのか
フォーカシングでは、言語化される前の曖昧模糊とした感じをフェルトセンスと呼びますが、多くの人が近い体験を持っているのではないでしょうか。
冷やし中華を注文したけれども何か微妙な感じがしているときには、もしかするともっと別な気持ちがあるのかもしれません。例えばダイエット中で食べたいものを我慢する気持ちが高まっていて、食べたいものでも遠ざけていた場合などがそれにあたるでしょうか。
本当は、油ギッシュならーめんが食べたかったのかもしれません。
しかし、これは単にらーめんを食べたい気持ちが本当の所であっても、らーめんを食べることを真に望んでいるとは限りません。
色々な気持ちがひしめき合い混在・混沌とする中で、そのうえでどうしたいのか、という意志決定のような側面があります。
上述したように、これは表面上のことではなく簡単ではありません。
幾重もの玉ねぎの皮がむけるようにという比喩もあれば、右往左往しながらとも言えるでしょう。
ここに納得、腑に落ちる選択ができるかどうかが重要なポイントであるとカウンセラーはクライエントが望む選択・意思決定ができるよう期待し、カウンセリングを行っていると言えます。
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まとめ
いつの間にか、カウンセリングの難しい話になってしまいました。
いずれにしても、カウンセラー側には本人が望む方向を尊重していく態度が求められています。
知らない内に、カウンセラー側にも就職ありきのような発想が沁みついてしまうことがあるものです。
そうした固定観念や世間の語りからいつでも離脱しておく必要があるのです。
このようにまとめてみると、カウンセラーも常に社会的なイメージやトレンドなど、何かと戦っているように思えてきました。


