総合病院に従事する臨床心理士の活動

総合病院 その他

病院といっても、病院の種類によってカウンセラーの活動は様々であると述べました。単科の精神科と総合病院での活動はかなり違いが出てくるでしょう。

総合病院身体科における臨床心理士の活動

単科の精神科に比較すると、総合病院には体の病気を治療するために通院している人がいらっしゃいます。長期入院して治療している方もいらっしゃいます。

一つには、体の病気と心理的な要因などが密接に関係していると考えられる場合、主治医が心理カウンセリングを勧める可能性が挙げられるでしょう。

様々な診療科目との協同

病棟ベッド

耳鼻科や眼科、外科、内科など精神科以外の医師がカウンセリングの依頼を考えるわけです。その場合、一度精神科を受診して精神科でカウンセリングを行うという体制の病院もあれば、各診療科の医師から直接カウンセラーに依頼可能である体制の病院もあるでしょう。

そもそも、精神科医も心療内科医も在籍していない病院もあります。

カウンセリングで行っているその仕事は、根本的には目の前の方が「どう生きるか」ということを支援していると考えることがあります。

そして、この行為は、精神科でしか行えない行為ではなく、人間の生活がある、教育、福祉、司法、産業などの様々な場面で可能性を持っている行為だと感じています。そのため、フィールドが身体医療の現場であっても、十分な可能性を持っていると考えます。

精神科以外の場でもカウンセリングは当然のことのごとく行われてきた

例えば、子育てに悩む母親がカウンセラーを訪れることもあるでしょう。

この場合、精神科という枠組みは外れ、子育てに悩む母親というその人が来談者として目の前に現れるのです。

子供の事という悩みも一つにはあるでしょう。また、子育てを通して見えてきた自分自身の生き方への問いかけということも同時に感じるわけです。

そこでカウンセラーに語られることや、カウンセラーとの一連のやり取りは、カウンセリングそのものになるわけです。この場合精神科医の関与は特に発生しないわけです。

また、カウンセラーは子育ての専門家ではなく、子育てを教える存在でもありませんが、心理カウンセリングは可能なのです。ですが、面接を通して子育てが良い方向に進展することはあるものです。

内科医との協同

内科医

内科は、病院内で総合的な窓口の役割を取ることがあります。最も多くの人が訪れる診療科と言えるでしょう。内科の先生をなんでも頼りに考えている人は多いのではないかと思っています。

その中には、様々な年代の方がいて、背景も千差万別です。中には、心理支援を希望している人がいる可能性もありますが、通常内科医がカウンセリングを積極的に進めるとはまだ考えにくいものです。

ですが、やはり多くの人が訪れる以上、内科医が心理支援の必要性や意義を感じていたら、それは有意義な事だと思います。

頭痛やかぜ、のような医学の対象である症状を持つ方にも、時に心理支援が意味をなすことがあると言えるでしょう。古代よりそもそも医学とは心身を一体的に診ることだったと聞いたことがあります。それが文明化とともに科学主義に傾倒していったという大きな流れがあります。

昨今増えている禁煙外来などでも、臨床心理士を配置する意義があるようにも感じます。

また、家庭内で何かのストレスを抱えた結果、体の不調が起こりやすくなっているなどのことも想像されます。

関連サイト:心理支援

整形外科

整形外科は、カウンセラーと縁が遠そうでありますが、やはり心理支援は重要な意味を持つ診療科目だと思います。

例えば、骨折は体のことではありますが、そこには、仕事復帰への焦りが混じったり、怪我をしたときに感じた恐怖感など、様々なテーマがあるように思います。

そして、手術や痛みに関わる心理支援もあると言えるでしょう。ペインクリニックにおいても近いテーマがあります。

精神腫瘍科(サイコオンコロジー)

もう一つ診療科を述べると、近年、精神腫瘍科と呼ばれる科を置く病院があります。精神医学や心身医学そのものを背景とするのではない、精神腫瘍学(サイコオンコロジー)を背景とした活動があります。まだ馴染みのない言葉ではありますが、徐々に浸透していくのではないかと思います。

日本サイコオンコロジー学会を参照すると、心理職への言及があります。

その他

その他にも、眼科や皮膚科、耳鼻咽喉科、神経内科、麻酔科、血液内科、産婦人科、リハビリテーション科、緩和ケア科など、心理支援の意義が見出される診療科目はたくさんあります。全ての診療科目と言って間違いではないと思います。対人のことなのですから、当然でもあり、実際、心身医学を学ぶ意思が増えています。

闘病支援

クリーンルーム

少しだけ上述しましたが、総合病院では体の病気の治療に専念するため、入院している方もいらっしゃいます。がんや各種難病を長期に闘病されている方も多く入院されている病院も多数あります。

長い闘病生活を支援することも、多職種と協同しながらカウンセラーの担える可能性のあることの一つに挙げられています。

こうした活動も徐々にではありますが進展しています。精神科においても同様ですが、カウンセリングは無理に行う性質のものではないと少なくとも私は考えています。

負担にならないカウンセリングを工夫する

闘病中の方にとって、負担とならない形のカウンセリングが望まれるのだと思います。カウンセリングも工夫次第ではかなり柔軟な枠組みの中で援助の可能性を持った行為であると考えています。医学的な治療上、点滴や注射を途中で中止することは難しいのかもしれません。しかし、カウンセリングは負担がかかるようであれば中止できるものですし、無理にやるようなものではないのです。いわばここに、医療現場の中に置けるにカウンセラーの存在意義を垣間見ます。(かと言って何もしないという事でもない難しさがあるのだと思います)

時間に関する工夫

重要な点のため少し詳しく触れたいと思いますが、カウンセリングは通常50分程度を1回の目安にして行われています。また、初めてののカウンセリングについては、90分程度の時間を確保している場合もあります。

体のどこかに痛みを伴っていたり、呼吸の苦しさを伴っている人もいる中で、90分の連続はいかがでしょうか。

時間はカウンセリングにおいて特段大事な枠組みですが、変えていけないことではないはずです。体調面に配慮された時間の設定は工夫されるべきだと思っています。

工夫の仕方は様々だと思います。50分のところを、30分や20分にする、とか、週1回のところを、2回に分けて行うとか、のことを指します。

場所

通常のカウンセリングでは、カウンセリングルームや相談室などという名称の部屋を用いて面接を行います。しかし、体調不良の中をわざわざ相談室に移動する負担は大きいものです。

この場合、個室ならば病室の中で行うことも必要でしょう。また、ナースステーションに空き部屋や、使える部屋があればそこを一時的に借りることも一つだと思います。

普段と違う場所でカウンセリングを行う場合、プライバシーへの配慮や、その部屋の居心地、温度管理なども重要なことです。カウンセラーは面接前に暖房を準備したり、ナースステーションにこれから何時まで使用する旨を告げるなどしておくと臨時的なカウンセリングスペースができあがります。

もし、ナースステーションへの連絡を怠れば、面接中であってもいつものように病棟スタッフが入室してくることは当然のことでしょう。この辺りの事は、病棟スタッフになんとかご理解賜りたいものです。

理解を得ることは大変ではあると思いますが、専門職として、カウンセラーがなんとしても安全な空間を作り、守り抜くことが肝心ではないでしょうか。

他職種との協同

上記のような時、場合によっては看護師との衝突が起きてしまいます。

厨房で荒れくれまわるという、ある料理人の言葉を借りれば、「俺は怒ってるんじゃない。真剣なんだ。」

この言葉が表すように、それぞれの専門職は、それぞれの背景のもと真剣に動いています。ここでの衝突は、そういう類の衝突であることに思いを巡らせ根羽なりません。他職種も患者さんのために必死に動いているのです。そのため、ご理解賜るように説明を尽くすのです。

私見

徐々に書き足していきたいと思いますが、私見では総合病院において臨床心理士なりカウンセラーが活動する意義は大きいと感じています。全診療科目とも接点があるはずですが、その活動はまだあまり知られていません。

開業カウンセラーとの対比

開業領域では、心理臨床家の専門性を発揮しやすい環境にあると言う事はできると思います。しかしこれはごく一面であり、開業でなければ発揮できないものではないと思っています。

フレッチャー病院心理士
フレッチャー病院心理士
むしろ総合病院臨床のように、医学モデルの中の奥深い所に、臨床心理士が踏み込むことに大きな意義を感じます。

医学の中に埋もれてしまうのではなく、対照的に独自の専門性がより際立つ場所だとも言えないでしょうか。こうした可能性を感じています。

カウンセリングは、精神科と最も密接であるというイメージが強いと思います。

確かに、精神科における心理士の活動は非常に長い歴史を持っています。そして、精神科に親和性が高いということも事実でしょう。

整形外科や眼科とコンタクトを取るよりも、数量的には精神科とコンタクトを持つ回数は多いでしょう。

なぜ今回、各診療科との距離を話題にしたかというと、実はカウンセリングを行う上で、精神科との距離と内科や外科との距離がほぼ同じ位であると感じた体験が幾つもあるからです。このことはおそらく教育場面においても、その他の領域で行う場合でも、近いことが言えるのではないかと感じています。

現実的な支援と心理カウンセリングによる支援

上述した方が、カウンセリングでしか心理的支援を受けていないかというと、そうではないわけです。そこには、主治医をはじめ、ご家族の存在や、学校の先生などが想像されます。

心理カウンセリングは、その方を支援する、一つでしかないわけです。

ですが、主治医や、ご家族や学校の先生の支援を仮に現実的支援と呼んだとしたら、心理カウンセリングにおける支援は、非日常的な支援と呼ぶことになるでしょう。

関連サイト:非日常性

 

そして、実際的な動きは現実的な支援の中で起きると感じています。

学校の先生の子育てに関する何かのコメントをきっかけに、状況が良い方向に動き出すなどがそのあらわれと言えるでしょう。この役割はもしかしたら別なご家族が担うかもしれません。

この場合、カウンセラーとこの方を支援する学校の先生やご家族とは一定の距離が生じます。

今回の記事はこの距離のことを書いているのですが、その距離は、病院内で心理カウンセリングを行う際の、医師との距離にほぼ等しいのではないかと感じるのです。

つまり、心理カウンセリングとは、病院内においても異質な行為であるとも言えるでしょう。ですが、ここに、心理カウンセリングの存在意義があるのではないかと感じるのです。基本的に病院で行うカウンセリングも、学校で行うカウンセリングも同じことを行っているわけです。

もちろん、病院では医療に関係する言葉や知識があり、学校では学校の規則や教育に関する知識などがありますので、別なことを行っているようにも見えなくはありません。しかし、本質的には同じ行為なのだと考えています。(もちろん、現実的な支援の行っている方との密接な連携が必要となることもあるでしょう。また、カウンセラーが精神科から学んでいることが非常に多いことも事実です。)

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