最終更新日 2024年3月11日
ご家族や、ご本人の周囲の人から、カウンセリングに意味が見いだせない、無意味なのではないかというご意見は多くの場面で聞かれます。
学校では、先生方も、そのような感想をお持ちになっているのではないかと想像しています。「カウンセリングでは、受容や共感が大事だというけれど、それが何になるのか?
もっと指導をしなくては解決しないのではないか」、「不登校の生徒に電話もかけなくて良いのか?待つだけがカウンセリングなのか?」などと、このような声が聞こえてきそうでありますし、ご家庭からも、「カウンセリングに通わせるなら、習い事や、塾にでも行った方が、有意義な時間になるのではないか?」というような声がありそうです。
ましてや、民間のカウンセリングルームでは、費用も多くかかります。
カウンセリングは無意味ではないか
カウンセリングは、指導や教育とは別なものであるとされます。そのため、カウンセリングの時間には教育や指導は当然ながら行われていません。内的な作業を行っているという、なんとも周囲の人からはわかりにくい言い方になってしまいます。
目にも見えなければ、その他にも確認することが難しいことを扱っているわけです。(教育においても、この視点は当然存在していると思いますが)
カウンセリングが問題を長期化させているのではないか
中には、「カウンセリングなど続けるよりも、環境を変えた方が良いのではないか?」と考える人もいれば、「むしろカウンセリングを行っているから、問題が解決しないのだ」と考える人さえいると思っています。
これは、非常に意味のあるご意見ですし、実際のところ、カウンセラーが、知らず知らず、自主性を奪ってしまっている可能性も時にあるのだと自覚しています。
見た目には何を行っているかよくわからないカウンセリングですので、周囲の人への説明も重要なことになってくると感じています。
お金ばかりかかってしまう
特に開業のカウンセリングルームの場合は高額であることが多く、進展がないのにお金ばかりかかるのは受け入れがたい話です。無料であっても、時間や労力を要するわけですから無意味に続けられるものでもないでしょう。
カウンセラーに気をつかって通っているようなものだ
なかなか言い出せず、いつの間にかカウンセラーのペースでカウンセリングが進められてしまっていることがあります。来談者中心などと謳っているわけですから、これでは本末転倒です。
むしろ負担の方が強く出てしまいます。
たいしたコメントもない
また、せっかく時間や費用を重ねても、カウンセラーが何もろくなことを言わないことに辟易とさせられるかもしれません。カウンセリングでは気の利いたアドバイスの一つもないものなのでしょうか?
実は進展はカウンセラーが起こしているのではない
別な項でも触れていますが、例えば、カウンセリングは、説教や指導、教育を否定するものではありません。どなたかが、ご自身の時間や大きな労力を割いて、非常に意味深い話をしてくれたり、人生の体験談を伝えたりしてくれていることなどが、日常生活上でその人を援助することにつながっているのだと思います。
それは、カウンセラーにはできない仕事なのです。また、その人たちの存在がなければ、カウンセリングの進展はより緩やかなものとなっていくのではないでしょうか。
色々な人との関係がある中で、カウンセラーはカウンセラーの役割を果たすことができます。
確認し合う
カウンセラー側が独りよがりになってはいないか、関係者への説明は十分か、本人は意味を感じているか・・・等々、時にはこれらのことに思いめぐらせることがカウンセラー側には必要です。
仮にカウンセラーだけが変化を感じ取っていたとしても、相談者側からするとよくわからないことだったりします。いつでも主体はクライエント側にある場所なのです。
その他の疑問
カウンセリングは本当に役立つものなのでしょうか。
まだまだ様々な疑問、あるいは疑念をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。
カウンセリングで、カウンセラーがずっと黙って頷いているだけなのは一体なぜなのか?あれが相談と言えるのか・・・
様々な疑問があることと思います。既に作成したページへのリンクを中心に幾つかの観点からまとめます。
カウンセラーの経験不足
まずは、カウンセラーの要因を一番初めに挙げておきたいと思います。ほぼ職人仕事であるものですから、カウンセラーが訓練を積んでいなかったりすれば簡単にカウンセリングが成立するものではありません。
臨床心理士という資格がありますが、資格があればカウンセリングも十分というものではありません。資格取得はせいぜい入り口に入れるパスくらいの意味と捉えています。
- 参考:臨床心理士について
カウンセリングの効果は実証されているのか?
薬の効果であれば、何人の人に投与した結果、何パーセントの人に症状の軽減が確認された・・・などのように効果を表現するものですが、カウンセリングの場合はどうなのでしょう。
どうも話の合わないカウンセラーだったが・・・それも関係あるのか?
カウンセラーとの相性が、カウンセリング体験を左右するものでしょうか。確かに、人間同士ですから相性はあるように思います。
高額なのだから1回で解決するもんなのではないのか?
費用については確かに高額です。1回で終了することもあれば、やはり数回や、それ以上という場合も珍しくはありません。
職場や家族へ、自分の代わりに調整役を果たして欲しいのだが・・・
色々と活動の仕方に違いはありますが、基本的にはカウンセラーが調整役になることはありません。環境を調整する専門家ではないためです。(この点については多くの異論が起きますが)
これにはがっかりする方も多いと思います。
それでは、一体何をする人なのか?
このブログサイトでは、様々な角度からカウンセリングを説明しようとしています。あまり関係ないようなタイトルでもカウンセリングについて書かれていることがあります。
例えば、グランメゾン東京はカウンセリングルームの性質を持っていたなどがそれにあたります。
一言で言えば、カウンセリングとはお越しになった方を尊重する時間です。
まとめ
何度かカウンセリングを続けてはみたけれど、「何にも変わらない」、「これ以上話すこともない」と、カウンセリングへのモチベーションがなくなることが確かにあります。
そこで、終了となることもあれば、その疑問からカウンセリングの方向性が見直されることもあります。カウンセラーと方向性をもう一度確認し合ったり、疑問を話し合える雰囲気・関係であることは重要な事です。