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心理臨床オフィスまつだ

日本におけるカウンセリングの歴史

あの国はどうだったのか カウンセリングに関して

最終更新日 2024年4月20日

物事には起源があるわけですが、カウンセリングにも起源が存在するはずです。

するはずと書いたのは、我々の認識以前からカウンセリング的な存在は既に存在していたと考えているためです。(太古より)

ですが、今回の記事はこのことには深く触れないことにします。

日本におけるカウンセリングの歴史も世界的な3つの流れを基本としながら独自の展開があった

いわゆる、我々が日常的にカウンセリングと使っている言葉のイメージは、フロイトによる精神分析、またはカール・ロジャースによるカウンセリングのことを指していると思われます。または、もうひとつのイメージとしては催眠を行うものというイメージが存在しているようにも思います。

世界的な3つの流れ・勢力

三大勢力

世界的には、大きく分けて、カウンセリングの歴史の流れは3つと言われることがあります。学派で言えば、行動主義、精神分析学派、人間中心学派の3つです。現在、数多くの学派が存在しますが、起源を辿

ると、この3つのいずれかに関係している場合が多くあります。

フロイトの精神分析、パブロフやスキナーらの行動主義を背景とする学派、それらへのアンチテーゼと言われているカール・ロジャーズらの人間中心学派があります。

精神分析は、フロイトが創始した一派で、ドイツで発展し、後にその場をアメリカに移しています。フロイトは多くの弟子を育て、現在もその流れで活躍されている方がたくさんいます。(19世紀後半~)

次に、行動主義ですが、起源を考えると、パブロフやスキナー、ワトソンという学者達にたどり着くかと思います。(1920年代頃でしょうか)現在、認知行動療法という方法が非常に注目されていますが、この流れを汲んでいます。

そして、最後に登場したのが、ロジャーズによる人間中学派ということになります。1950代頃からと記憶しています。大きな流れはこのように分類できるのですが、もっと細かく考えれば、おそらく数百種類のことに触れることになるかと思います。

※下記論文に世界的な歴史もまとめられています

作新学院大学・作新学院大学女子短期大学部学術情報リポジトリ

日本独自の展開を持つカウンセリングの歴史

日本国旗

さて、これらはすべて海外で生まれ発展していきました。日本においても、この3つの流れの影響は当然ありますが、独自の歴史があります。日本ではどのようにカウンセリングが発展していったのでしょう。

文献により諸説あるにしても、戦後の1950年代~1970年代頃、カウンセリングという言葉が世に浸透していったのではないかと思います。次に、1988年が一つの転機になると言えると思います。

この年に、臨床心理士の資格が開始され、資格をもったカウンセラーの活動がはじまります。その専門性は、心理面接に中核を持つと考えられ、(つまりカウンセリングを指す)多くの領域で活動しています。

その後、経済情勢の変化や、自然災害など、社会的に大きなインパクトが起きた際にも、臨床心理士やカウンセリングということに注目が集まることがありました。20世紀末から21世紀はじめにかけては、全国的に心理学科を設ける大学が急増しました。

そして、昨今2015年には、はじめて心理職の国家資格化がなされました。

友田不二男氏らの始動

大甕駅

改めて、日本のカウンセリングの源流の話に戻ると、まずは、友田不二男氏らの活動が挙げられます。これは、ロジャーズのカウンセリングのことを指し、主に教育の分野で発展したと聞いています。

ロジャーズの弟子である、ローガン・ファックスが日本の茨城キリスト教大学で活動していたこともあり、友田不二男氏らによって、ロジャーズの方法が広く紹介されるようになっていきました。当時、全国の教員の間でロジャーズが学ばれたようです。友田氏のカウンセリングワークショップは多くの人に知られています。

ローガン・ファックス氏は、茨城キリスト教大学の初代学長でした。HPを拝見すると、やはりカウンセリングに関連した記述が見当たります。

現在の学生には、なかなか知られる機会がなくなってしまったのでしょうか。付属のカウンセリング研究所のページでは、ロジャーズが来日したときの写真も含めて紹介されています。

※下記のページにも、ローガン・ファックスの記述があります。

該当サイト:茨城キリスト教大学「学園の歴史」のページに記載されています。

河合隼雄氏の帰国

チューリッヒのリマト川

また、友田氏とは別な活動として、河合隼雄氏が、スイスにてユング心理学を学び帰国し、ユング心理学を広めていったという展開があります。

※下記、河合隼雄財団のHPにもプロフィールが記されています。

 

成瀬悟策先生らの活動

催眠に使う椅子

※写真はイメージです

友田、河合両氏の活動は、日本のカウンセリングの歴史に大きく影響したことは違いなく、また、多くの人に知られています。ですが、もちろん、その他にも多くの人が関係してきた歴史があることは言うまでもありません。

冒頭の方に、カウンセリングに対するイメージの一つに催眠が挙げられると触れましたが、日本においては、成瀬悟策氏が長い時間をかけて多くの活動を積み重ねています。成瀬悟策先生は、後に日本で一人目の臨床心理士有資格者になった人物でもあります(1988年)。催眠研究は、動作法の発展にも繋がり、益々の広がりを見せています。

※成瀬先生のインタビューが掲載されています。

その他の活動

  • 昨今、認知行動療法が非常に注目されています。この源流は行動主義に遡るわけですが、1975年には行動療法研究会が発足されています。
  • 日本における精神分析は、戦前よりはじまっています。
  • ここでもう一点触れておきたい事に、日本独自の心理療法の存在です成瀬先生の臨床動作法、吉本伊信により展開され身調べを取り入れた内観療法、そして森田療法は日本オリジナルの心理援助の方法でもあります。

まとめと年表

もっと名前を出したい先生方がたくさんいらっしゃるのですが、様々な事を慮るとここに記すことができません。

全てを網羅しているわけではありませんが、カウンセリングに関する大まかな年表を作成してみました。どのような動きがあったのでしょう。

【戦前】

  • 1919年 森田療法創始
  • 1928年 東京精神分析研究所創設
  • 1934年 古沢平作 精神分析クリニック開業

【戦後】

  • 1952年 『面接法の技術』出版(友田不二男)
  • 1955年  大甕ワークショップ開催
  • 1959年 『カウンセリング入門』出版(伊東博

友田、伊東両氏の活動は、戦後まもなく始まっている。ロジャーズのカウンセリングが紹介された。

  • 1965年 河合隼雄氏がスイスのユング研究所から帰国開始

河合隼雄氏の活動は、日本のカウンセリングの展開に大きな影響力をもった。日本では、ロジャーズのカウンセリングが影響力を持っている時期であった。

  • 1978年 ユージン・ジェンドリン初来日

ジェンドリンは、ロジャーズのもう一つの片腕と称される弟子で、フォーカシングを創始した。

  • 1982年 日本心理臨床学会設立

現在では、心理学関係学会の中で、最も大規模な学会となった。

国家資格ではないが、心理職の資格として臨床心理士が作られた。2016年には3万人を越えている。

はじめての国家資格の法律が制定した。

公認心理師に関する厚生労働省HPの該当部はこちら

戦後のカウンセリングは、ロジャーズの紹介を持って展開されている印象を受ける。その中で、河合隼雄氏の帰国は、もう一つのインパクトになった。現在のカウンセリングには学派を越えた様々な知見が背景にあり生かされているように思える。

※関連して、他国の様子を知る事にも意義があるのではないかと思います。